現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集」 ショパン「別れの曲」12のエチュード作品10より

みなさんこんにちは。

タイトルもいっしんしまして、また引き続き「ピアノ名曲集」を

描いてまいります。今日はショパンです。

 

エチュード第3番 ホ短調

 

12のエチュード作品10 「別れの曲」

ショパンが27曲発表した、エチュード(練習曲)のなかの一曲です。

ピアノ曲といえば、ショパンと言われるほど、多くのピアノ曲を残しています。

 

では、さっそくどうぞ。

 

 

ショパンエチュードの第3番目に出てくるこの曲は、ゆっくりとした美しいメロディー

が素晴らしい曲です。弾くのはもちろん難しくて、表現力がかなり必要ですね。

ここでショパンの写真をご紹介します。

 

 

このお写真、どう思いますか?

慣れない撮影でかなり緊張しているように思えます。

音楽室に飾ってある絵は、若い時のものでしょう。

絵と同様に細身で少し神経質な感じに思えます。

 

ショパンの人生

 

彼はポーランドで1810年に生まれました。

4歳からピアノを習い、8歳の時には演奏会に出られるほど上手に

なり、「第二のモーツアルト」と呼ばれるようになりました。

 

11歳からはピアノを習うのをやめて、作曲の方を勉強するようになりました。

最初に作った曲「ロンド」が12歳の時に出版され、その後もたくさんのピアノ曲を

作りました。

 

その頃、バイオリンの名人と言われる、パガニーニの演奏を聞き、大変に感動し

自分もピアニストになろうと決心し、ウィーンやワルシャワ、パリなどで、自分の

曲を演奏し大成功をおさめました。

 

メンデルスゾーン、リスト、シューマンなどの有名な作曲家たちとも友達になり

いろいろな影響を受けました。

29歳から36歳までの間、ノクターンやワルツなどの名曲を作りました。

そのほとんどがピアノ曲です。

 

彼は39歳の時、前から悪かった結核がますます悪くなり、パリで亡くなりました。

 

まとめ

 

このショパンもあの、パガニーニの影響を強く受けていますね。

ロマン派時代の全ての音楽家に影響を与えた、パガニーニもまた

天才であったわけです。

 

彼はポーランド生まれで、作品の中には、民族的なリズムを取り入れた作品も

多くあります。自分のルーツを考えると自然と、そこに行き着くのでしょうか。

作品を描いた年数は短いですが、どのピアノ曲も名曲ですね。

 

結核であったためか、繊細で壊れやすい性質であったようです。

 

ショパンの曲はこの後も沢山出てきますよ。お楽しみに。

 

ではまた。