皆さん、こんにちは、お元気ですか?
いつもこのブログをご覧下さりありがとう御座います。
「時に命を救う音楽」なんてオーバーな、と思いますが、事実に基づいた例を
お話ししたいと思います。いくつかあるのですが、まずは以前テレビで見た
「バスの遭難事件」で場合です。
バスが大雨の中で孤立
今から数十年前のある日、大雨の中バスは走行していましたが、滑ってしまいバスごと
池のようになった場所に浸かってしまいました。
乗員には高齢者や怪我をした方、そしてさまざまな職業の方がいましたが、
お医者さんは乗り合わせてはいませんでした。当時は携帯電話などありませんでしたから、
外の人に連絡を取る術がありません。少し灯りを感じたら、そちらに向かって手を振ったり
バスの上に乗って、ジャケットを脱いで振ったりしていました。
長く水に濡れ体も冷えて体の弱い方などは危険な状況です。少ししてその乗客の中から
「みんなで歌を歌いましょうよ。」といった女性がいました。初めはそんな体力もうないし、
疲れるだけだ、などとみんなは思っていましたがその女性が歌い始めると、
他の方も歌い始めました。歌を歌ったことで体が少し温まり、みんなで励まし合いながら、
次々に歌を歌ったそうです。
のちに全員は無事に救助されましたが、みなさん口々に
「みんなで歌いながら励まし合って乗り越えられた。」とお話しされていました。
この話をテレビでご覧になった方も多いかと思います。私はかなり話を端折っていますが、
歌を歌ったことで気力や体力を維持できた。という素晴らしい事例です。
ユダヤ人強制収容所
極限状態では音楽が「魂の武器」になる。
ナチスドイツ時代、ユダヤ人強制収容所に収容されながらも奇跡的に残った
ヴィクトール・フランクルの経験を記録した著作があります。
食事もろくに支給されず、厳しい労働を強制され、明日の命さえわからない収容所の生活。
そのような状況でも、音楽や詩、コメディなどを催す演芸会が開かれていたそうです。
そしてそこにゆくために貴重なスープを犠牲にする人たちもいたことが、
フランクルの著書には書いてあります。
フランクル自身も疲れ果てて泥のように眠っていた朝、居住棟から聞こえてきた
ヴァイオリンの調べで目を覚ましたことがありました。その日は別の棟に収容されていた妻の誕生日で、
彼は「バイオリンは泣いていた。私の中でも何かが泣いていた。」と述べています。
そして芸術やユーモアは「自分を失わないための『魂の武器』だ。」とも述べています。
彼は人間には目的が重要であると説いています。「音楽や芸術、ユーモアは時として
人間にとっては食べること以上に価値のあるものや目的にもなりえ、魂の武器にもなる」と。
まとめ
少し重いお話しでしたでしょうか。常に私たちが極限状態にあるわけではないので、かなり
神秘的な感じがしましたが、「食べること以上に価値のあるもの」にもなりうる、ということが
「人はパンのみに生きるにあらず」と言われた聖者の言葉と重なります。
音楽を目指す若者に、「そんなんで食べていけるのか?」と、心配する方も多いかと思いますが、
若者は「食べられなくても音楽を目指す」のです。そこには説明のできない深い思いがあると思います。
深い良い話でしたかしら?
ではまた。
ピアノを習ってみたい大人の方には「コード奏法」が最適です。最近は良い「リードシート」楽譜が出ています。
「初心者向け」などと表紙に書いてあるものをご覧になると、わかりやすいかもしれません。