現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集」 シューベルト(楽興のとき)

みなさんこんにちは。

あっという間に2月が過ぎ、3月になりました。

いよいよ春めいてきましたが、皆様の地域ではどのようなお天気でしょうか?

 

さてこの「ピアノ名曲集」は、今回で7回目です。

皆さんがそれぞれお好きな曲は登場したでしょうか?

本日は、シューベルトの楽しい曲です。

 

楽興の時

 

楽興の時 D.780 第3曲。

この曲はシューベルトが26歳の時の作品です。ですが、出版されたのは1828年ですから

亡くなった年になります。とても短い生涯でした。31歳という若さで亡くなりました。

 

では、とても楽しい曲です。どうぞ。

 

 

こちらはお馴染みの油絵です。

 

 

この絵が描かれたのは1875年ですが、彼は若くして亡くなっていますので、

亡くなってから描かれたものでしょうね。彼が何歳くらいの時でしょうか? かなり若い感じがします。

 

そして、もう一つ現代的な視覚から見た、「楽興の時」です。

 

 

これを見ると、どう弾いているかよくわかりますね。

 

さて短命であった彼の生涯について、お話しします。

 

シューベルトの生涯

 

フランツ・ペーター・シューベルトは1797年にオーストリアで生まれました。

お父さんは小学校の校長先生をしていましたが、音楽が好きでチェロを弾いたり、

また近所の人たちと合奏したりして楽しんでいました。

シューベルトは12歳で王室の礼拝堂の少年歌手になりましたが、それまでの間

父親やお兄さんから、音楽を教えてもらっていました。

 

少年歌手になってから、色々な音楽の勉強をすることができましたが、

普通の勉強を怠けてしまったので、父親に大変叱られ、それに大人の声になって

きたため少年歌手をやめました。

その後、父親の助手として小学校で働き、その年にミサ曲を作曲して、近所の人たちと

一緒に演奏しました。

 

お父さんはその演奏を聴いて大変喜び、ピアノを買ってあげました。

シューベルトはそのピアノを使って『魔王」「野バラ」などの歌曲や

「即興曲」「ソナタ」などのピアノ曲、それに「ロザムンデ序曲」や

「未完成交響曲」などの管弦楽曲を作りました。

 

彼が25歳の時にベートーベンにあって、ピアノ曲を捧げましたが、彼はベートーベンを

神様のように尊敬していましたので、感激のあまりに何も言えないほどだったそうです。

31歳の時にベートーベンの後を追うように、亡くなりました。

シューベルトの希望で、ベートーベンのお墓の近くに埋葬されました。

 

 

まとめ

 

彼が教師を辞めてから、音楽で生活してゆくのは大変な苦労があったようです。

友人の家に居候させてもらったり、食事を分けてもらったり、裕福な人から楽譜を

買ってもらったりと、助け合いの中で作曲を続けていたのですね。

 

そして学生時代にサリエリに指導を受けたり、憧れのベートーベンに会ったりと

物凄い時代に生きていたのですね。 シューベルトはロマン派の作曲家で、特に

「歌曲王」として有名です。今でもあの「魔王」は中学生の音楽の教科書に載っています。

 

ではまた。