皆さん、こんにちは!
暖かな火曜日、もう寒い日はやってこないそうです。
思い上着を脱いで出かけたら、少し寒かったです。
軽い上着などで、調節できるように心がけましょうね。
さて本日は、バッハのカンタータをお届けいたします。
主よ、人の望みの喜びよ
コラール「主よ、人の望みの喜びよ」(カンタータ 第147番 BWV147より)
J.S.バッハ作曲
長い題名ですが、まずコラールとは、ドイツにおける賛美歌、特にプロテスタント教会で
歌われるものを指します。
ではカンタータとは何かと言いますと、声楽曲のことです。
この曲は室内楽などで演奏されることもあります。
室内楽
やはり室内楽ですと、また違う音色で良いですね。
ヨハン・セバスチャン・バッハ
バッハは1685年にドイツで生まれました。
バッハ家は200年にわたり、多くの音楽家を出した家柄です。
小さい時から父親にバイオリンを、そしてお兄さんにオルガンを
教えてもらいました。街の人たちも皆音楽が好きでしたから、バッハは
いつも音楽に囲まれて暮らしていました。
ところが彼が9歳の時、お母さんが亡くなり、そして10歳の時にはお父さんも
亡くなりました。その後お兄さんに引き取られたバッハは、そこで作曲を
教えてもらいました。お兄さんの楽譜をこっそり持ち出して、それを書き写して
勉強していたそうです。
学校では、ラテン語とルターの神学を勉強しました。
18歳の時、教会のオルガニストになり、その仕事をしながらたくさんの曲を書きました。
特に25歳以後の作品には、「平均律ピアノ曲集」「インベンション」などのピアノ曲や
教会カンタータ、ミサ曲、室内楽曲、管弦楽曲、オルガン曲など、有名な曲が
たくさんあります。
晩年になり、彼は視力を失い、2度も手術をしましたが、ほとんど見えなくなり
65歳で亡くなりました。彼はヘンデルらと共にバロック時代を築いた偉大な作曲
です。
この時代の正装したときの絵です。白い毛糸のようなものをかぶっています。
モーツアルともかぶっていましたが、ベートーベンがかぶっているのは
みたことがありません。
まとめ
現在オリンピックの会長を勤めている、バッハ会長は、音楽家のバッハ家とは全く
関係がないそうです。元アスリートだったようですが、一度聞いたら忘れられない
お名前ですし、何かお名前だけで、尊敬してしまいます。
J.S.バッハを「大バッハ」とか呼びますが、8人兄弟の未子であったそうです。
父親の部下や門弟や、兄弟達の演奏でいつも音楽で賑わっていたようです。
彼自身も合わせて20人の子をもうけていますが、亡くなった子供もいました。
しかし大変に子煩悩であったのは、自分の父親と同様でありました。
彼の子供達にも多くの音楽家が活躍しました。
「大音楽家ファミリー」だったわけです。
楽器をみんなで演奏することが日常であって楽しかった。
これが原点のようですね。
ではまた。