モーツアルト ピアノソナタ第15番  ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番

みなさんこんにちは。

 

関西地区の方、東京都内にお住まいの方、そして全国の蔓延防止対象地域に

お住まいの皆様、またしばらくの間、少し不自由を感じるかもしれませんが、

今回の変異種はお子さんなど若い方に感染すると、急激に悪化するなどと、

聞いております。皆様の大切なお子様を守る意味でも、是非できる範囲での

協力をいたしましょう。

 

連休を控えて、少し気持ちもダウンしがちですが、名曲を聞いてお過ごしください。

本日はモーツアルトとラフマニノフの作品です。

まずはモーツアルトからです。

 

ピアノ・ソナタ 第15番

 


ピアノ・ソナタ 第15番 ハ長調 K.545 第1楽章

可愛らしい曲ですね。 弾いたことがある方は多いと思います。

ハ長調ですし、一見引きやすそうなのですが、これをきれいに弾くのが

結構難しいのです。

 

この曲はモーツアルトが自作の作品目録に1788年6月26日の日付とともに

「初心者のための小さなソナタ」時しており、ソナタアルバムにも収められて

いることから、ピアノ学習者にはおなじみの曲となっています。

一度は弾いてみたい曲ですね。

 

さて次は、ラフマニノフのピアノ協奏曲です。

 

ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調

 

 

ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 作品30 第3楽章

難曲に挑戦するうちに精神を病んでゆくピアニストを主人公とした映画

「シャイン」でその魅力が広く知られるようになりました。

この曲はロシアの作曲家、セルゲイ・ラフマニノフが第3番目に書いた

ピアノ協奏曲です。1909年の夏に作曲され、同11月にニューヨークで初演された。

 

ピアノ協奏曲2番と共にラフマニノフの代表作の一つで、演奏者に課せられる

技術的、音楽的要求の高さで有名な作品である。

ということで、やはり弾いでいる映像もご紹介します。

 

 

セルゲイ・ラフマニノフ

 

 

セルゲイ ラフマニノフは1873年の4月1日にロシアで生まれました。

父親は音楽の素養のある人物で、裕福であったが、セルゲイが生まれた頃には

一家はすでにかなり没落していたという。4歳の時、姉たちのために雇われた

家庭教師が彼の音楽の才能に気がついたことがきっかけで、ピアノのレッスンを

始めた。しかし彼が9歳の時に一家は破産し、両親は離婚し、父は家族のもとを

去っていた。セルゲイは音楽の才能を認められ、奨学金を経てペテルブルク音楽院の

幼年クラスに入学することができた。

 

しかし彼は不良学生で、12歳の時に全ての学科の試験で落第するという事態に

陥った。悩んだ母は、モスクワ音楽院に転入しピアノを学ぶことになった。

彼に指導をしたズヴェーレフはラフマニノフにピアノ演奏の基礎をたたき込んだ。

ズヴェーレフ邸には多くの音楽家が訪れ、特に彼はチャイコフスキーに才能を認められた。

 

作曲への衝動

 

先生は弟子たちにピアノ演奏以外のことに興味を持つことを禁じていたが、

どうしても作曲への衝動を抑えきれなかったラフマニノフは、師と対立し

先生の本を去った。

 

まとめ

 

ラフマニノフはピアノの名手でもありました。厳しい先生に指導を受けていたのも

肯けます。ロシア人作曲家のピアノ協奏曲は、大変に困難なものが多く、体の大きな

ロシア人の手でも難しいのに、日本人の女性が弾くのはとても困難です。

 

しかし誰でも初めは初心者で、ラフマニノフも苦労して練習をしたことでしょう。

見習いたいです。

 

ではまた。

 

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