「トロイメライ」 シューマン・「2声のインヴェンション」 J.S.バッハ 「ピアノ名曲集」より

皆さんこんにちは。お元気ですか?

各地でのコロナワクチン接種がスタートしているようですが、

若い方の感染のリバウンドが報告されているようです。

リバウンド って何にでもあるのですね。

体重のリバウンドはもちろんのこと、運動にもあるそうです。

学生時代までスポーツをやっていた人が社会人になって、運動をやめた途端に

リバウンドすることです。(悲しい)

 

さて今回はみなさんよくご存知の「トロイメライ」と「インヴェンション」

をお届けいたします。

 

まず、トロイメライからです。

 

トロイメライ

 

 

シューマン作曲の「子供の情景」作品15からの、第7曲が

トロイメライです。 トロイメライとは(夢)を意味する言葉だそうです。

1838年の2月から3月にかけて作曲され、完成は4月までかかったそうです。

この曲はあのフランツ・リストを感動させたそうです。リストは

「この曲のおかげで私は生涯最大の喜びを味わうことができた。」と手紙に

書いて送ってきたそうです。また週に2、3回は娘のために弾いていると明かして

います。お子さんに急かされてリストがこの曲を何回も弾いている姿、ちょっと

想像できませんが、素晴らしい音楽環境ですよね。

 

       こちらはリストです。

 

ロベルト・シューマン

 

シューマンは、7歳からピアノを習い始めましたが、作曲にも興味を示して

11歳の時には、誰にも教わらずに合唱曲や管弦楽曲を作りました。

この辺りが天才ですね。

中学生になると文学、法律、哲学に興味を持つなど広く勉強していましたが、

20歳の時ピアニストになることを決心して、正式に音楽の勉強を始めました。

 

音楽雑誌も出版して活躍していました。そのためショパンやブラームスもその雑誌により

多くの人に知られるようになりました。

ここで彼の文学的な才能が発揮されたのですね。

 

 

そもそもシューマンの父親は文学者を志していて、のちに書店を開業したのです。

書店と出版社を設立していて、バイロンの翻訳全集などを出版していたそうですl

父も物語をかき、商業的な論文や雑誌の編集もこなして、事業に成功し土地の名士で

あったそうです。

想像するに裕福な家庭であったようですね。そしてロベルトが7歳の時にドレスデンにゆき

ウエーバー指揮によるベートーヴェンの交響曲を聴いて、大変感動したそうです。

 

 

次の曲はバッハの作品です。

2声のインベンション 第1番 ハ長調 BWV722  (J.S.バッハ)

 

2声のインヴェンション

 

 

弾いたことがある方も多いのではないでしょうか。

「インヴェンション」の第1番ですね。

 

 

ハ長調ですから大変に弾きやすくて私もよく弾きました。

絶え間なく音が続いてゆく感じが個人的には好きです。

 

J.S.バッハ

 

9歳で母親を失い、10歳で父親を失い、お兄さんに引き取られたバッハは

お兄さんの持っている楽譜を写して音楽の勉強を始めました。そして18歳の時に

教会のオルガニストになってからも、教会にある楽譜を夜に薄暗い中で写譜して

勉強をしました。晩年それが祟って目が見えなくなり、2度の手術もしましたが、

成功せず、65歳で亡くなりました。

バッハを音楽の父とたたえる人は大変多く、バロック時代の偉大な音楽家であり、

時代を超えて今も生きている音楽であります。

 

まとめ

 

どうやらバッハはお兄さんに音楽の勉強を、教えてもらった以外には

独学で勉強したようです。 まだ調べている最中ですが、バッハが誰かから

作曲の仕方を教えてもらった、と言う話があまりないようです。

もしご存知の方がいらしたら教えてください。

その辺からして、やっぱり「音楽の父」なのですね。

子供の頃に両親を亡くしましたが彼は子供を多く残し、その中に多くの作曲家が

おりました。

 

当時としては65歳と言う年齢は、長生きをした方ではないでしょうか。

こうしていろいろな音楽家の人生を見ていますと、皆さん紆余曲折あります。

良い時もそうでない時も、いつも音楽と一緒に過ごせる幸せもあります。

精神的に落ちてしまった時にはピアノさえも演奏できなくなった作曲家もいます。

ですから音楽を楽しく聞けたり、演奏できるのは健全な証です。

みなさんは大丈夫ですよね?

 

ではまた。