歌と踊り 第1番(モンポウ)、ゴリウォークのケーキウォーク(ドビュッシー) ピアノ名曲集より 

皆さんこんにちは、お元気ですか?

ワクチン接種の経験者も私の周りに、ちらほら出始めまして、いよいよ自分も

接種する覚悟が固まりました。

実は少し躊躇していたのです。

ですが先日テレビで女医さんの方が「今回のワクチンは、ウイルスを水で希釈したものは入っていない」

と専門家としてのご発言を聞き、かなり納得いたしました。やはり専門家のご意見は貴重です。

 

さてノスタルジックなクラシックピアノの名曲集。

今回は「歌と踊り」モンポウ作曲をまずはじめにお届けいたします。

 

歌と踊り

 

 

モンポウが作曲した15曲の作品群が「歌と踊り」になります。

そのうち13曲はピアノのために描かれていて、第13曲はギター曲、第15曲は

オルガンのために書かれています。

 

ではここで、ギターの演奏もどうぞ。

 

 

おお、良いですね! 非常にノスタルジックで懐かしいヨーロッパの片田舎のイメージ。

楽器が違うと、こうも表現方法や音色に変化があるものなのですね。

 

フェデリコ・モンペイ

 

カタルーニャの鐘造りの父と、フランス人の母との間に生まれたモンぺイは、おばさんから

ピアノを教えてもらい、15歳の時に初めて公開演奏をしています。

1909年にガブリエル・フォーレの演奏会を見て作曲家になることを決心しました。

地元バルセロナのリセウ音楽院でピアノを学び、パリにゆきパリ音楽院への留学を志すが、

断念し、その地でピアノの指導を受けていた。

 

フランスの作曲家のドビュッシー やサティに強烈に影響された最初のピアノ曲集の第1部を

仕上げて、1914年に第1次世界大戦を避けてバルセロナに戻り、最初のピアノ曲集を書き上げた。

その後1920年過ぎに再びパリを訪れ、ケーキ屋を開くが間も無く倒産した。

1937年までは神経衰弱のため作曲はしなかった。

1941年にナチス軍によるパリ占領を避けてバルセロナに帰郷、同年ピアニストと知り合い

長い友情ののちに1957年に結婚した。

 

カタルーニャ帰国後には、サン・ジョルディ王立音楽院の教員になり、カタルーニャで

静かな生活を送りながら創作活動を続け、94歳で他界した。

 

 

ゴリウォークのケークウォーク

 

ドビュッシーの作品「子供の情景」の中の1曲です。

 

 

ドビュッシーが「シューシュー」と呼んで可愛がっていた一人娘のクロード=エンマ

のために作曲した「子供の領分」の中の一曲です。

この「ケーキウォーク」と言うのは、黒人の間で発祥したダンスの一種で、2拍子の

軽快なリズムからなるもので19世紀まつにアメリカ南部で20世紀にヨーロッパへもたらされて

流行したそうです。その後アメリカ南部へ伝わりジャズの起源の一つともなった。

一説には「ケーキ」を賭けて巧みさを競い合って踊ったと言う。

 

 

クロード・アシル・ドビュッシー

 

 

フランスの作曲家ドビュッシーは長音階や短音階以外の先方や自由な和声法などを用いて

作曲し、その伝統から外れた音階を和声の用い方から19世紀後半から20世紀初頭にかけて最も

影響力のあった作曲家の一人です。

幼少期の彼については本人が語ろうとしなかったため、どうのように過ごしたかは不明です。

しかしあの詩人のヴェルレーヌの義母に音楽の手ほどきを受け、父の知人のヴェルレーヌの義兄

でオペレッタ作曲家のシャルル・ド・シヴリーとの出会いから音楽教育を受けました。

 

まとめ

 

今回の作品はいかがでしたか。

私はモンペイと言う作曲家を知りませんでしたが、かなり風情のある良い作品を

残していますね。個人的には彼の人生が、戦争によって翻弄されたことがかなり残念

な気がします。やはり戦争は文化・芸術にとって何も良いことがありません。

人の心も強く影響を受け、回復するまでに大変な時間が、かかります。

 

今もウイルスのために文化のみならず、スポーツでの交流などが活発にはできません。

そんな中で迎える「オリンピック」ですが、これは歴史に残る大変な「TOKYO オリンピック」

となるでしょう。

 

ではまた。