現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集 100選」 亡き王女のためのパヴァーヌ ラベル

みなさんこんにちは。

桜の便りがあちこちで聞かれます。

卒園、卒業、おめでとうございます。

新たな門出をお祝いしましょう!

 

祝賀会は家族や友人で開催しましょう。

大人数でやりたい時は zoom などを使用してワイワイできます。

そのうちVRが普及してきたら、面白いことになりそうです。

 

今日はラベルの曲です。

 

亡き王女のためのパヴァーヌ

 

優雅な舞曲の形式を用いた美しい曲です。

パヴァーヌとは、当時ヨーロッパの宮廷で普及していた踊りのことです。

 

 

この曲はラベルが、パリ音楽院在学中に作曲した、初期を代表する傑作です。

彼はこの作品を自身のパトロンであるポリニャック公爵夫人に捧げました。

 

ではオーケストラ版もどうぞ。

 

;

 

ラベルは、オーケストラーションが卓越しており、「管弦楽の魔術師」の異名を

持っています。

 

モーリス・ラベル

 

 

ジョゼフ・モーリス・ラベルは1937年3月7日生まれのフランス人です。

バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、「ボレロ」や、「展覧会の絵」のオーケストレーション

で知られています。ピアノ曲では「水の戯れ」などの作品があります。

 

父ジョゼフはスイス出身の発明家兼実業家だった。

父親が音楽好きで幼少の頃からピアノや作曲を学び、ラベルが音楽の道へ進むことを

激励したそうです。 ラベルはパリ音楽院に14年間在籍していました。

 

第一次世界大戦が勃発して、パイロットとして志願したラベルでしたが、体重が規定に

2キロ満たなかったことから、その希望はかないませんでした。が、1915年3月に

トラック輸送兵として兵籍登録されました。

彼の任務は砲弾の下をかいくぐって資材を輸送するような危険なものでした。

 

当時の前線ヴェルダン付近まで到達したが、道中で腹膜炎となり手術を受けました。

結局、終生戦争の傷から回復することはなかったそうです。

対戦中の1917年に最愛の母親が76歳で他界すると、生涯最大の悲しみに直面した

彼は創作意欲を極度に失い、かろうじて「クープランの墓」を完成させた以外は

3年間にわたって新曲を生み出せなかった。

 

1928年に初めてアメリカに渡り、4ヶ月に及ぶ演奏旅行を行った。ニューヨークでは

満員の聴衆のスタンディングオベーションを受けた。

当時のアメリカの黒人霊歌やジャズなどに感銘を受け、この演奏の成功により彼は

世界的に有名になった。同年オックスフォード大学の名誉博士号を授与された。

 

1927年ごろから軽度の記憶障害や言語症に悩まされていた。1932年にパリでタクシーに乗って

いる時に交通事故に遭い、これを機に症状が徐々に進行していった。

1937年に脳腫瘍などの治療の専門家として名高かった脳外科医クロヴィス・ヴァンサンの

執刀のもとで手術を受けたが、腫瘍も出血も発見されず、脳の一部に萎縮が見られただけだった。

 

ヴァンサンはラヴェルが水頭症を発症していないことを確かめると萎縮した脳を膨らまそうと

生理食塩水を注入したが、間も無く昏睡状態に陥り、意識が戻らぬまま、12月28日に

62歳で死亡した。会葬には作曲家の、ダリウス・ミヨーや、フランシス・プーランク、

イーゴリ・ストラヴィンスキーらが立ち会った。

 

まとめ

 

ラベルが戦争に志願していたことは今知りましたが、やはり戦争、特に世界大戦とかは

文化や芸術に大変な影響を与え、また音楽家や芸術家、作家の方達も戦地に赴くなど

本来の活動を制限され、またその後遺症で人生が激変してしまいます。これは全ての人に

言えます。やはり戦争はよくありません。

 

現在は世界中がコロナで大変な影響を受けている方が多くいらっしゃいます。

私たち、人類の生活習慣が変化せざるを得ない状況ですね。それに打ち勝っていくために

ぜひ知恵を持って、立ち向かっていきましょう。

 

ではまた。