みなさんこんにちは。
4月に入りました。今日も縁起の良い日だそうです。
宝くじでも買ってみようかしら。
さて本日は、エリック・サティ作曲の作品をお届けします。
大リトルネロ
この曲はシャンゼリゼ劇場の舞踏家カリアティスのために
ミュージック・ホールの音楽を織り交ぜて書かれた管弦楽曲で
ピアノの4手連弾用も作られました。
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上記の自動演奏は連弾用の楽譜が出てきます。
写真の方がエリック・サティ氏で大変な変わり者だったそうです。
では彼の人生について見ていきましょう。
エリック・サティ
サティはパリ音楽院在学中に指導教授より、才能がないと否定され
1885年に2年半あまりで除籍になった。
その間の作品は、1884年に処女作「アレグロ」(ピアノ曲)や
「アレグロ」、「オジーヴ」、そして「ジムノペディ」や「グノシエンヌ」
などを発表した。
あの名作「ジムノペディ」の独特の響きは良いのにね。
1887年からモンマルトルに居住し、1890年からコルト通り6番地に居住する。
モンマルトルのカフェ・コンセール「黒猫」に集う芸術家の1人になり、
ドビュッシー、コクトーやピカソたちと交流した。このカフェ・コンセールのための
声楽曲も書いている。
名曲「ジュ・トゥ・ヴー」はこの時の作品だそうです。
彼は酒場でピアノを演奏して主な生計を立てていました。ですから
お客さんの邪魔になるような演奏はできませんでした。その辺りも彼の作風に
影響しているかもしれませんね。
変わり者と言われる理由の一つに、奇妙な題名をつけることがあげられる。
「犬のためのブヨブヨとした前奏曲」や、「なしの形をした3つの小品」
「胎児の干物」「裸の子供たち」や、バレエ「本日休演」など、
想像するだけでも面白いです。
作風
若い頃に教会に入り浸っていた影響か、教会旋法(スケール、モード)を
自分の作品に取り込んでいる。そして調性や、和声進行も無視して、対位法の
違反進行も書かれていた。
時代や、やがて無調に入っていきましたから、まさに先駆けでしたね。
教会旋法はジャズの世界でも取り上げています。モードジャスなどがその例ですね。
交流のあったドビュッシーやラベルも旋法を扱うようになり、新しい雰囲気を出すことに
成功している。 これはサティの功績でしょうね。
そしてのちに彼は調号表記も捨てた。拍子記号や小節線、終止符すらも廃止した。
これは発展してオリビエ.メシアンなどの現代音楽家へと続いて行った。
変わり者伝説
彼が本当に変わっていたのか、確かに今までとは違うものを表現したのは事実ですね。
1889年にパリ万博で彼は日本の歌謡曲を聞いたそうです。翌年に薔薇十字教団に入り
1891年に聖杯の薔薇十字教団聖歌隊長に任命されている。
宗教との関わりは深かったようです。
1893年にシュザンヌ・ヴァラドンと交際を始め、300通を超える手紙を書き、
6ヶ月後に絶交した。1905年には演奏会の会場で雨傘で決闘して警察に拘留される
など、人間味あふれるかたのようでした。
1925年7月1日聖ジョセフ病院にて肝硬変のため他界。
まとめ
我が道を行くタイプのサティですね。
人は必ず何かの影響を受けますが、それを作品に昇華させたことが
彼の何より素晴らしかったところですね。 私なども愚痴ばかり吐いていないで、
これを何かに変えてゆくぞ、ぐらいの気持ちがあると良いですね。