ドヴォルザークのスラヴ舞曲、スクリャービン のエチュード ピアノ名曲集より

みなさんこんにちは。

梅雨入りした地方もある様ですね。

爽やかな春はそろそろ終わり、鬱陶しい季節に入るのか、と思うと

春は短いなと思います。

 

さて本日はドヴォルザークとスクリャービン の作品をお届けいたします。

まずはドヴォルザークから。

 

スラヴ舞曲 第1集

 

 

スラヴ舞曲 第1集 作品46 第2番 ホ短調です。

連弾曲ですね。連弾曲はモーツアルトやシューベルトの時代に社交の場の

楽しみとして女性たちの間で大流行し、一時下火になったものの

ブラームスの「ハンガリー舞曲集」は倒れかかった出版社が持ち直すほどの

大ヒットとなりドボルザークにも同様の期待がかかったというわけです。

 

アントニン・ドボルザーク

 

ドヴォルザーク は1841年にチェコスロバキアで生まれました。

父親は、宿屋と肉屋をしていましたが、ドボルザークは小さい時から

小学校の先生からヴァイオリンを教えてもらい、とても上手に弾いて

お客さんたちに喜ばれていました。

 

14歳の時お父さんはドボルザークに自分の仕事を継がせるためにドイツ語を

習わせようと思い近くの街でドイツ語を教えているリーマンのところへ行きました。

リーマンはドイツ語ばかりではなく、オルガニストとしても活躍していました。

ドボルザークはビオラ、オルガン、ピアノ、作曲も教えてもらい、かえってドイツ語より

音楽の勉強の方が楽しくてたまりませんでした。

 

しかし父親は彼が音楽家になるのには大反対でした。ですがリーマンはドボルザークには

素晴らしい音楽の才能があることを知っていましたので、「ドボルザークに音楽の勉強を

させてあげるように」と父親に頼み込みました。それで父親はやっと音楽家になることを許し

ドボルザークはプラーハに行って正式に音楽の勉強をすることができました。

 

よかったですね、というよりやはり運命的に廻り合わされたのでしょう。

リーマン先生が父親を説得しなければ彼は音楽家になれなかったわけですから。

 

次の作品は「12のエチュード」より、作品8−12、スクラリャービンです。

 

スクリャービン のエチュード

 

エチュード作品8−12

 

 

20世紀最高のピアニストのウラデイミール・ホロヴィッツの演奏です。

改めて見ますと、なんという手の大きさ、そして目にも止まらぬ速さ、迫力

やはり最高のピアニストですね。

指捌きの速さや難曲におけるミスタッチの少なさであれば、現代ではホロビッツ以上の

技巧を持つピアニストは少なくない。しかしながらホロビッツの音は独特であった、と

皆証言しています。 確かにそうですね。

 

 

スクリャービン は1900年頃(この写真は1900年に撮影された)から

ニーチェ哲学に心酔し、とりわけ超人思想に共鳴していたそうです。

その後も神智学にも傾倒したり、作曲にも影響を受けたようです。

確かにこのエチュードも神がかっているという雰囲気ですね。

 

まとめ

 

今日の2つの作品はいかがでしたでしょうか。

個人的には、ホロビッツの演奏が拝見できたことは嬉しいと共に

驚きです。 演奏後の去り方も意外に感じました。

「あっさりと」立ち去る、みたいな。

「弾いている時が全て」なのでしょう。

 

そういうピアニスト昔は結構いらっしゃいました。

リヒテルさんとか、出てきていきなり弾く、など、個性が

凄かったですね。 今のピアニストの方は皆さんとても礼儀正しく

演奏の前後もきちんとしてますね。

 

おそらく小さい頃より、コンクールにたくさん出場されてきたために

そのことは厳しくしつけられてきたのではないでしょうか。

 

ではまた。