こんにちは。お元気ですか?
5月も半ばを過ぎ、時のすぎる速さを感じます。
それにしても昨日の、ガッキーと星野源さんの結婚発表には驚きました。
久しぶりに嬉しいことで、喜んだ気がします。
最近は、何か不安な話題の方が多いですからね。
おめでとうございます。お幸せに!
さて今日は、ショパンの「葬送行進曲」より第3楽章です。
葬送行進曲
ショパンが1827年に作曲したこの作品の出版は、1855年です。
出だしから特徴があり、しばしばBGMとしてドラマや映画などに使用されます。
1933年の5月ドイツのフランクフルトにおいて、ユダヤ人の著作物を焼く
梵書の祭典がナチスによって実施された際に、ショパンの葬送行進曲が演奏され
ていたそうです。本は火の中に投げ込まれ、焼かれた本の中には、ショパンと交友の
あった、あのハインリヒ・ハイネの著作もあったという。
次の作品はラフマニノフの、前奏曲 嬰ハ短調 作品3−2です。
ラフマニノフ 「鐘」
ラフマニノフの作品はどれもドラマチックな感じですね。
彼がピアノの名手であったことは、ピアノの技巧を最大限まで高められた要因の
一つですね。そして大柄なロシア人のピアノ曲は日本人の女性にはかなり厳しい
面があります。
ラフマニノフのピアノ
1891年、彼は18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業しました。
金メダルは通例、首席卒業者に与えられたが、当時スクリャービンもまた優秀で
あったことから、金メダルを分け合った。
首席はラフマニノフ、次席(小金メダル)がスクリャービンでありました。
その後1892年に同院作曲家を卒業。卒業制作として歌劇「アレコ」を、わずか
数日のうちに書き上げ、金メダルを授けられた。
同年10月8日にモスクワ電気博覧会で「前奏曲嬰ハ短調」を初演した。
この曲は熱狂的な人気を獲得しラフマニノフの代名詞的な存在になった。
まとめ
今日の2作品は少し寂しさも感じられる作品でした。
作曲者は色々な曲をたくさん書いていますから、人としてもたくさんの
苦労もあったのでしょう。
それを曲のできるのが、すごいですね。
人生には山あり谷ありで、平坦な人生はないのです。
ですから、昨日のガッキーの結婚については「がんばってね」、と
いうしかありません。他人の苦労はその人にしか理解できないことも
ありますのでね。
歳をとると、このような「老婆心」が出てきます。
でも、乗り越えてください。楽しいことばかりでは成長できませんから。
ではまた。