調子の良い鍛冶屋(ヘンデル)・ カッコウ(ダカン) 「ピアノ名曲集より」ノスタルジックな曲

皆さんこんにちは。お元気ですか。

連日の突然の雨は、まるでスコールのようです。

これが日本の「梅雨」であったか? と、私はふと思います。

少し前に行ったタイのスコールのようです。

もはや日本は熱帯気候になってしまったかのような毎日ですね。

 

もし、オリンピックの100メートル決勝の時に突然雨が降ってきたら

思い出深いレースになるでしょう。

 

では今回も本当に懐かしい曲をお届けいたします。

まずは、ヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」です。

 

 

調子の良い鍛冶屋

 

ヘンデルの「ハープシコード組曲第1集」第5番 ホ長調 HWV.430の終曲

「エアと変奏」につけられた通称です。

エアに続いて5つの変奏が続きます。

日本では「調子の良い鍛冶屋」と言う訳語が定着していますが、これだと

「お調子者の鍛冶屋」と言う誤解を招きかねないために、新たに「愉快な鍛冶屋」

と言う訳語も使われている。

 

 

こちらは有名なハレルヤコーラスですが、このヘンデルの肖像画があまりなく

この絵が一般的ではないでしょうか。

 

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル

 

ヘンデルはドイツ出身の音楽家で、イタリアで成功した後にイギリスで長年活躍

しました。

ヘンデルは幼少期から非凡な才能を示していましたが、父は彼を法律家にしようと考えており、

ヘンデルが音楽の道へ進むことは賛成していませんでした。

ある日、真夜中に自分の部屋を抜け出して、ピアノのある屋根裏部屋で月の光を頼りに

ピアノをずっと弾き続けていますと、後ろにお父さんが立っていた、と言うお話もあります。

 

いつの時代も親は子供を立派な職に就かせたい気持ちが大きく、あまり本人の希望を

聴くなどと言うことはないようですね。

ヘンデルも12歳でお父さんを亡くして、父の望みどうりに法律の勉強をしましたが、やはり

音楽と離れることはできずに、教会のオルガニストになりました。

そのご幸いなことに当時のヴァイセンフェエルス公爵がヘンデルのオルガンの演奏を

気に入り、ヘンデルは公爵の援助のおかげで音楽の勉強を続けることができたそうでう。

好きな音楽の道に進めてよかったですね。

 

次の曲は「カッコウ」です。

 

かっこう

 

 

お歌の「かっこう」ではありませよ。

現存する作品の中で最も有名な「かっこう」です。

 

 

ルイ=クロード・ダカン

 

1694年生まれのフランスの作曲家ダカンは、オルガンやクラブサンの演奏家として

有名でした。

パリの音楽家・楽器製造家の一族に生まれた彼は、幼少期から神童の名を欲しいままに

しており、6歳の時にルイ14世のための御前演奏を行った。

教会のオルガニストとして、プチ・サンタントワーヌ教会、サン・ポール教会、

コルドリエ教会、そして王室オルガニスト、のちにノートルダム大聖堂オルガニストの

称号を手にした。

 

現存する作品はあまり多くはないですが、この「かっこう」はさすが名オルガニストの

作品と感じさせるものです。

 

まとめ

 

ヘンデルの時代も今の時代も、親の影響というのは大変に大きなもので、

子供の人生を遠回りさせてしまうこともあります。

反対されても突き進む場合もありますが、今ではあまり反対を強くすると

「モラハラ」とか「パワハラ」とか言われそうですね。

親子の場合は、ほとんどが子に対する愛情からくるものなのですが、それが

幼い子供には理解できないのです。

 

時代が変わっても、親が子を思う気持ちに変わりがないわけですね。

 

ではまた。