パガニーニの主題による狂詩曲(ラフマニノフ)・ノクターン 第5番(ショパン)「ピアノ名曲集」より

皆さんこんにちは。お元気ですか?

ニュースなどでは毎日のように、ワクチン接種の話題でもちきりですが、

皆さんの地区では、いかがでしょうか?

もう接種された方もいらっしゃるでしょうね。

そして問題はその後のオリンピックのことなど、未曾有(みぞう)のことでいっぱいです。

 

さて今日はラフマニノフ とショパンの作品をお届けいたします。

まずはラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲 作品43 第18変奏」

をお聞きいただきます。

 

パガニーニの主題による狂詩曲

 

 

皆さん、どこかで聞きになたことがあるでしょう。

やはりこれはオーケストラの方も聞きたいですね。

 

 

オーケストラ版の方は解説も入って、わかりやすいと思います。

この曲は天才バイオリニスト、パガニーニの「24の狂詩曲」の第24番を主題としています。

 

セルゲイ・ラフマニノフ

 

ロシア革命の混乱の中で母国を離れたラフマニノフは、アメリカ合衆国でピアニストとしての

生活を送るようになった。

ピアニストとしての名声を獲得する反面、演奏活動に多くの時間が割かれることになった。

そしてロシアを離れ、母国を喪失したという思いも強く、想像力の枯渇を感じることもあり

作曲になかなか取り組めなかった。

 

1931年の夏に休暇の為にスイスのルツエルン湖畔に建てた別荘で作曲を開始した。(1934年6月3日)

そして同年8月18日に仕上げられたのが、この作品です。

初演は1934年11月7日、ボルチモアでラフマニノフのピアノ独奏、ストコフスキー指揮、

フィラデルフィア管弦楽団により行われました。

のちにこの曲はミハイル・フォーキンによってバレエ化され、その時にラフマニノフは

フォーキンに「超絶技巧と引き換えに悪魔に魂を売ったと噂されたニコロ・パガニーニの

伝説とすじ立てとして利用してはどうか」という提言をしている。

 

ピアニストであったショパンやリストなどが、パガニーニの名前を口にしています。

それほど素晴らしバイオリニストだったわけです。

ここで、そのお姿(写真らしい)を見てみましょう。

 

 

少し奇妙には感じますが、かなりて手と顔が大きくて、これは本当に写真なのでしょうか。

彼の弾くバイオリンは「超絶技巧」の塊であったそうで、是非聞きたかったですね。

 

さてもう一曲お届けします。

 

ノクターン 第5番

 

ショパンのノクターン 第5番 嬰ヘ長調 作品15ー2です。

 

今回は演奏動画ではありませんが、夜想曲ですので、このような画像も良いかと思いまして、

やってみました。

だんだん年齢を重ねますと、振り返る過去が増えます。たまに私のような人間でも過ぎし日の

ことを思い出すのは、静かになった夜、一人の時です。

このように「夜想曲」を聞きながら過去を振り返ることはありませんが、まるでピアノの音が

昔を懐かしむように聞こえます。

 

フレデリック・ショパン

 

ポーランド出身のショパンはパリで他界しましたが、故郷であるポーランドでは

紙幣に肖像が使用されたり、ポーランド最大の空港の名前が、「ワルシャワ・ショパン空港」

に2001年改名されたりしています。

7歳の時に「ポロネーズト短調」を作曲して以来多くのピアノ作品を残してきたポーランドの

誇りですからね。

 

 

こちらはショパンの生家です。

彼の父はフルートとヴァイオリンを演奏できたそうで、母親もピアノにたけていたそうです。

幼い頃のショパンは母が弾くピアノを聴いて、感極まって涙を流すこともあったと言います。

初めの師匠はチェコ人の先生でしたが、あっという間に師匠を超えてしまったそうです。

わずか7歳にして公開演奏を行うようになり、神童モーツアルトやベートーベンの比較されるようになって

行ったそうです。

 

まとめ

 

戦争や内乱によって文化が停滞してしまうことがあります。

これは音楽史などをみても確かなことです。

では現在の世界はどうでしょうか。

このコロナは細菌との戦いです。文化的な生活はある意味停滞しています。

しかし人間は今まで天才や秀才、人の知恵を持って色々なことと戦って

勝利してきたからこそ、私たち人類はいまだに滅亡していないわけです。

皆さん、後もう少し耐えましょう。私などコロナをやっつけることができませんが

自分が感染しないことが、医療従事者の皆さんへの敬意と感謝の表れです。

 

ではまた。