こんにちは! お元気ですか?
いよいよ9月になりました。今日は9月の1日ですね。
私は月の初めは、いつも新鮮な気持ちになります。さあ今月は何しようかな、などと
予定をぼんやり考えたり、妄想したりするのが好きです。
暑かった夏もそろそろ終わりますね。涼しくなってくると、考えが深くなるような気がしませんか?
さらに、もう今年も、あと4ヶ月!。 さあ残りの4ヶ月、どう過ごしましょう!
このタイミングで、本日は「マイ・ウエイ」をお送りいたします。
この曲は元はフランス生まれのシャンソンだったのです。
ポール・アンカがこの曲に感銘を受け、シナトラのために英語詩を書き、プレゼントしました。
シナトラは晩年の1969年に発表し、人生の終わりを目前にした男が、これまでの苦悩や
喜びを振り返って、「大切なことは我が道を歩んだことだ」と語るさまに全世界の人が
共感と感動を覚えました。
マイ・ウェイ
皆さんは、この曲のどの部分が好きですか?
私は最後の方の、「自分の人生は正しく、そして自分の人生を生きてきた。」
と晩年のシナトラが真顔で歌うあたりが、グッときます。
またオーケストラを従えて、たった一人で呟くように歌う前半も素晴らしいですね。
フランク・シナトラ
今日はフランク・シナトラについて少しお話ししてみましょう。
1998年5月14日に82歳で他界するまで、歌手として、エンターテイナーとして
ラジオ、テレビ、映画などで活躍しました。
活動期間は1935年から1997年という長い芸能生活でした。
この「マイ・ウェイ」をステージで歌っていたのは何歳の頃でしょうか。
楽曲を発表した当時の年齢は54歳ですが、晩年の歌には強い思いが籠もっています。
イタリア系アメリカ人の長男として生まれるが、難産であったためか、鼓膜が破れていたそうです。
17歳くらいから歌手として、バンドと共にレストランなどで歌っていた。
その後バーのラウンジでソロで歌っているところを見出されて、ハリージェイムスの楽団
「ミュージック・メイカーズ」の専属歌手として、ビクターよりプロデビューした。
イタリア系マフィア
1937年に地元のレストランを牛耳っていたイタリア系マフィアとの関係が深かったらしく
警察に初めて逮捕されている。
1939年に彼は同じイタリア系アメリカ人のナンシー・バルバートと結婚した。
彼女は有力なマフィアのジェノヴェーゼ・ファミリーの副ボスである、ウィーリー・モレティと
縁のある人物の従兄弟であった。うーん、なんとなく雰囲気ありますね。
その後、人生で彼は4回結婚している。
まとめ
「歌は世につれ世は歌につれ」との言葉のようにシナトラは当時のアメリカを、良くも悪くも
生きてきた男だったと思います。その彼がこの曲に想いを込められないはずがありません。
今こうして毎日を過ごしている私たちも、歴史を作っていますし、また世の中に翻弄されながら
人生を生きています。
特に今の時代には、そう感じてしまいます。現在のこの、コロナ時代は
ある意味、全世界の人間が共通意識を持ったことになるのですよね。
ではまた。