現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集」 亜麻色の髪の乙女(ドビュッシー)

みなさんこんにちは。

穏やかな日曜日、いかがお過ごしですか?

コロナの「緊急事態宣言」が解除される地域もあるようです。

気持ちは緩みがちですが、手洗いとマスクの習慣は継続しても良いかと思います。

 

さて今日は、私も大好きなドビュッシーのピアノ曲です。

「亜麻色の髪の乙女」(前奏曲集 第1巻より) です。

 

亜麻色の髪の乙女

 

 

このピアニストのランランさんの表現がすごいですね。

 

もう一人女流ピアニストの演奏です。

 

 

男性と女性では「亜麻色の髪の乙女」に対するイメージが少し違うかもしれませんね。

 

ドビュッシー

 

 

生い立ち

 

クロード・アシル・ドビュッシーは1862年8月22日に、

サン ジェルマン アン レー で生まれました。

フランス印象派を代表する作曲家ですが、本人は否定的で、

象徴主義の影響が濃い。

 

彼はイヴァリーヌ県、サン・ジェルマン・アン・レーのパン通り38番地に生まれた。

(現在はドビュッシー博物館)となっている。

父は陶器店を経営し、母は裁縫師であった。5人兄弟の長男として生まれたが、

彼が2歳の時に洗礼を受け、その後経営難のため母方の実家(クリシー)に同居する。

 

8歳の頃、イタリアのバイオリニスト、ジャン・チェルッティにピアノを習う。

その後、詩人ヴェルレーヌの義母であったフルールヴィル夫人に基礎的な

音楽の手ほどきを受けた。夫人は彼の才能を見抜き、親身に彼を教えたという。

 

1872年の10月にパリ音楽院に入学し、ピアニストになるつもりでいた。

しかし次第に入賞に遠ざかり、ピアノ伴奏法のクラスに入った。

1880年7月、18歳の彼はチャイコフスキーのパトロンであった、フォン・メック夫人の

長期旅行にピアニストとして同伴し、作曲もした。

 

パリに戻り、この年の12月にギローのクラスに入り、その後毎年のように

「ローマ賞」コンクールに挑戦するが、何度も入賞を果たし、1884年に3回目の挑戦で

ローマ大賞を受賞した。それによりローマへ留学したが、雰囲気に馴染めず、期間を繰り上げて

パリに戻った。

 

中期

 

27歳の彼は国民音楽協会に入会し、新たな人脈と発表の場を得た。この頃詩人マラルメの

自宅サロン「火曜会」に唯一の音楽家として出席するようになり、「牧神の午後への前奏曲」への

作曲へと繋がっていく。

 

1900年代に入ると、「版画」「ペレアスとメリザンド」などで大きな成功を収め、作曲家としての

キャリアを確実なものとした。

その後も交響詩「海」や、ピアノ曲集「映像 第1集」、「前奏曲集 第1巻」などを次々に発表した。

 

晩年

 

1914年、第1次世界大戦が勃発し、9月にアンジェに避難したが、1ヶ月後にパリへと戻る。

この時すでに彼は大腸癌を発病していた。

1918年の3月25日夕刻に、55歳で死去した。

 

まとめ

 

彼はご両親が音楽家ではなかったのですね。

ピアニストを目指すも挫折し、何度も作曲コンクールに挑戦するなど

大変な努力の人、であったようです。

 

長い人生には、色々な迷いや、選択の連続ですからね。

 

ではまた。

現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集」 モーツァルトの「トルコ行進曲」

みなさんこんにちは。

「ピアノ名曲集」です。

 

今日は2月最後の週末です。

もう2月が終わるのです。

そろそろ「緊急事態宣言」が解除になる地域もあるようで、

春を迎えて、なんとなくウキウキしてきます。

 

さて今日は、モーツァルトの「トルコ行進曲」です。

トルコ、という国は当時のヨーロッパの人にとっては、異国のアジアを

意味していたそうです。

 

この曲はピアノ・ソナタの中の第3楽章なんです。正式には、

ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331より 第3楽章

ピアノの発表会などでもよく弾かれる一曲です。

では、どうぞ。

 

トルコ行進曲

 

 

モーツァルトのピアノ曲は特に音色が美しいですね。

ですから意外と弾くのは難しいのです。

 

さて今日は、オーケストラ バージョンもお届けします。

 

オーケストラによる トルコ行進曲

 

 

オーケストラですと曲の強弱もよくわかり、指揮者の雰囲気もたのしげです。

 

ではここで、モーツァルトの生涯について少しお話しします。

 

音楽の神童モーツアルト

 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトは1756年にオーストリアで生まれました。

お父さん(レオポルド)は宮廷のバイオリニストで、モーツアルトにピアノを小さい頃から教えました。

5歳の時に「メヌエット」を作曲し、周りから天才と言われていました。

 

レオポルドは幼いモーツアルトを、勉強のためにヨーロッパ演奏旅行をして回りました。

モーツアルトは、その後ヨーロッパ旅行で学んだことを、曲の中で表現しています。

8歳から10歳にかけて、ピアノ曲、交響曲、オペラなどを沢山書きました。

 

彼の天才ぶりは一度聞いた曲を全部忘れない、ということができたからでもあります。

14歳の時にイタリアのシスティン教会で(ミゼーレ)という曲を聴き、

教会の外には絶対に出せない曲で誰も楽譜をみたことがないのに、彼は全てを

楽譜に書き残すことができました。

 

20歳を過ぎてからは、優れた作品を次々に発表し、その中でも特に

「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「ジュピター」などの交響曲、

そして、ピアノ・ソナタ、ピアノ協奏曲などは特に有名です。

 

しかし30歳を過ぎた頃から、だんだん体調を崩し、貧困のなか36歳の

若さで亡くなりました。

 

彼の音楽は、真っ青な青空のように澄んでいて、そして真珠のように美しく

輝いています。いつも聞くひとの心をとても爽やかにしてくれます。

 

 

まとめ

 

モーツアルトの音楽が脳や体に良いとされる一つの理由としては、

その、音色の美しさ(純粋さ)であると思います。

和音の澄んだ響きが、脳などに良い影響を与えます。

 

 

「ミゼーレ」という曲は合唱曲でかなり複雑なはずなのに、彼は一音違わずに

楽譜にしたそうです。確かこの話は、脳科学者の茂木健一郎さんがお話し

していました。茂木先生は恐らく彼は「サバン症候群」ではなかったのか。

とお話ししておられました。

 

そうですね、超人的ですから、普通ではないですね。

今日はこの辺で。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集」 ショパン「別れの曲」12のエチュード作品10より

みなさんこんにちは。

タイトルもいっしんしまして、また引き続き「ピアノ名曲集」を

描いてまいります。今日はショパンです。

 

エチュード第3番 ホ短調

 

12のエチュード作品10 「別れの曲」

ショパンが27曲発表した、エチュード(練習曲)のなかの一曲です。

ピアノ曲といえば、ショパンと言われるほど、多くのピアノ曲を残しています。

 

では、さっそくどうぞ。

 

 

ショパンエチュードの第3番目に出てくるこの曲は、ゆっくりとした美しいメロディー

が素晴らしい曲です。弾くのはもちろん難しくて、表現力がかなり必要ですね。

ここでショパンの写真をご紹介します。

 

 

このお写真、どう思いますか?

慣れない撮影でかなり緊張しているように思えます。

音楽室に飾ってある絵は、若い時のものでしょう。

絵と同様に細身で少し神経質な感じに思えます。

 

ショパンの人生

 

彼はポーランドで1810年に生まれました。

4歳からピアノを習い、8歳の時には演奏会に出られるほど上手に

なり、「第二のモーツアルト」と呼ばれるようになりました。

 

11歳からはピアノを習うのをやめて、作曲の方を勉強するようになりました。

最初に作った曲「ロンド」が12歳の時に出版され、その後もたくさんのピアノ曲を

作りました。

 

その頃、バイオリンの名人と言われる、パガニーニの演奏を聞き、大変に感動し

自分もピアニストになろうと決心し、ウィーンやワルシャワ、パリなどで、自分の

曲を演奏し大成功をおさめました。

 

メンデルスゾーン、リスト、シューマンなどの有名な作曲家たちとも友達になり

いろいろな影響を受けました。

29歳から36歳までの間、ノクターンやワルツなどの名曲を作りました。

そのほとんどがピアノ曲です。

 

彼は39歳の時、前から悪かった結核がますます悪くなり、パリで亡くなりました。

 

まとめ

 

このショパンもあの、パガニーニの影響を強く受けていますね。

ロマン派時代の全ての音楽家に影響を与えた、パガニーニもまた

天才であったわけです。

 

彼はポーランド生まれで、作品の中には、民族的なリズムを取り入れた作品も

多くあります。自分のルーツを考えると自然と、そこに行き着くのでしょうか。

作品を描いた年数は短いですが、どのピアノ曲も名曲ですね。

 

結核であったためか、繊細で壊れやすい性質であったようです。

 

ショパンの曲はこの後も沢山出てきますよ。お楽しみに。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

ベートーベンのピアノソナタ 「月光」より第一楽章  ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調

みなさんこんにちは。

今日も風が強いので飛ばされないように、お気をつけください。

花粉症の方は、これから大変な時期になりますが、「ステイ ホーム」

が良いですかね。

 

さて本日は、ベートーベンのピアノ曲です。

ピアノを習っていた方は弾いとこともあるのでは、と思います。

 

ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27−2「月光」

 

この作品は3楽章とも大変に有名で、皆さんどこかで聴いている曲ですね。

 

 

ベートベンの生涯

 

 

ベートベンは1770年に生まれ、宮廷楽団のテノール歌手であった父より

4歳から厳しいピアノの練習を何時間もさせられたそうです。

ある時、よって帰ってきた父に起こされ、朝までピアノをひかされていたことも

ありました。

 

9歳から正式に音楽の勉強を始め、17歳の時、モーツアルトに教えてもらうため

ウィーンへ行きました。そこで即興演奏をして大変に褒められたそうです。

その後ハイドンについて作曲などの勉強をしました。

 

しかし26歳の頃から耳の病気にかかり、音楽家として生きていけないと思い

遺書を書き自殺しようとしたほどでした。しかし自殺を思いとどまり、耳が

聞こえなくなっても作曲を続け、「英雄」「運命」「田園」「合唱付き第九交響曲」

「ワルトシュタイン」「熱情」などのピアノ・ソナタを作曲しました。

 

55歳の時、弟の家からウィーンへ帰る途中、発熱し肺炎にかかり、これが原因となり

56歳でこの世をさりました。人々は彼の死を大変悲しんで、盛大な葬式をしました。

彼は古典派とロマン派の橋渡しをした大作曲家です。

 

鉛中毒

 

ベートベンの死については一時、毒殺説などがありましたが、アメリカの研究により

鉛が大量に毛髪から検出されたため、「鉛中毒」であった、とされました。

当時、安いワインの口当たりをよくするために、鉛を入れることがあったそうです。

彼はワインが好きでした、そして安いワインには鉛がはいっていましたから、

毒殺ではなく、鉛中毒であった、という結論になりました。

 

では、もう一曲「エリーゼのために」

これが弾きたくて、ピアノを始めた方も多いことでしょう。

まず最初の目標としてこの曲がありますね。

優しくもあり、激しくもありの小品ですが、ベートーベンらしさが

いっぱい詰まっている作品だと思います。

 

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まとめ

 

本日は第3回目の「ピアノ名曲 100曲」ですが

恐らく200曲くらいになりそうですね。

あまりにも名曲揃いなものですから。

 

そして、名曲と共に名ピアニストも沢山現れました。しかし残念なことに

映像として残っているものが少ないのです。

現代の演奏家たちは映像を残せますから、いつまでも名演奏が

みられますね。

 

良い時代になりました。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノ名曲集 100選  リスト作曲 「LA CAMPANELLA」映像付き

みなさんこんにちは。

土曜日の午後、いかがお過ごしでしょうか。

お茶でも飲みながら、音楽を聴くのも良いですね。

 

 

カンパネッラ

 

お待ちかね、今日はリストのカンパネッラです。正式には、

「LA CAMPANELLA-ALLEGRETTO IN G SHARP MINOR,

FROM ‘ETUDES D’EXECUTION TRANSCENDANTE D’APRES PAGANINI’」

です。訳しますと。

(「パガニーニによる大練習曲」より第3番 嬰ト短調)

であります。 では、さっそく。

 

 

リストについて

 

作曲家リストはハンガリー生まれ(1811年〜1886年没)

6歳からピアノを習い、神童ぶりを発揮していました。

正式な音楽の勉強のためにお父さんと一緒に、ウィーンに行き

そこでツェルニーにピアノを教えてもらいました。

 

彼が12歳にして2回目の演奏会を開いた時には、ベートーヴェンが

会場にいたそうです。ベートーベンは大変感心して舞台に上がり

リストを抱きしめ、その額にキスをして褒め称えたそうです。

 

その後彼が26歳の時に、パガニーニの演奏を聴いて大変感激し、

「私もパガニーニになりたい」と叫んだそうです。

 

一時音楽活動をやめて教会の神職についていた期間もありました。

ショパンや、シューマン、ワグナーなども同期になります。

共に切磋琢磨していたことでしょう。

 

もう一人忘れてはならない方の演奏をどうぞ。

 

 

まとめ

 

このフジコさんによって、この名曲「カンパネッラ」は蘇りました。

 

曲というのは弾く人によって、変わるのですね。

例えが変ですが、同じ材料で、同じカレーを作っても違う味がする。

みたいな?

 

ですから、いろいろな方の演奏を聴くのは、いろいろなカレーを食べる

ように楽しい? 私はそんな風に思います。

みんな違って、みんな良い!

素敵な週末をお過ごしください。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クラシックピアノ名曲集  ショパン「ノクターン 第20番嬰ハ短調」 映像付き

みなさんこんにちは。

今日も関東地方は風が強くて、穏やかな春を待っています。

 

さて告知通り、本日から「クラシックピアノ名曲集」を始めます。

まずは数あるピアノ曲を約100くらいにしぼり、御紹介してゆきたいと思います。

分け方は、年代順ではなく、曲の雰囲気で分けます。

 

 

第一パートは、 人気のあるピアノ曲集

第2パートは、 元気が出るピアノ曲集

第3パートは、 リラックスするピアノ曲集

第4パートは、 ドラマチックなピアノ曲集

第5パートは、 ロマンチックなピアノ曲集

第6パートは、 ノスタルジックなピアノ曲集

 

という風に分けました。(個人的見解)

 

さっそく今日は、第1パートである「人気のあるピアノ曲集」よりお届けします。

 

第1曲めは、皆さんどこかで聞いたことのあるピアノ曲

ノクターン第20番嬰ハ短調

 

この曲は「戦場のピアニスト」のなかで使用されていました。

私もこの映画を見ました。映像にマッチしたぴったりの曲です。

 

ショパンの死後出版されたために、「遺作」となっていますが、

ショパンが20歳の時の作品と言われています。

マリア・ヴォジンスカとの婚約が破棄され、彼女と別れの時に送った

音楽帳に写しが入っていたそうです。

 

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もう私の場合、映画と音楽が一緒になっていますね。

この映画の主人公は実在した方をモデルにしていますが、

そのかたの御子息はなんと日本の大学で教鞭をとっておられます。

 

 

大変なご縁を感じますね。

 

そしてこの方が、シュピルマン氏ご本人です。

 

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ショパンはたくさんのピアノ曲を書きましたが、実際はあまり楽譜を書くのが

得意ではなかった、と言います。弾きながら書いてゆくタイプだったそうです。

一時はリストとともにサロンでピアノを弾き、しばしばご婦人たちを

失神させていたそうです。 もちろん失神させたのではなく、あまりに素敵で

ご婦人たちが失神してしまった、とのことです。

 

今で言う「アイドル」でしょうか?

そして弾くたびに、一部分を変えて弾いていたようです。

楽譜どうりではなかったこともあったわけです。

 

いや〜、その場で是非聞いてみたかったですね。

 

まとめ

 

ちなみに「ノクターン」と言うのは「夜想曲」のことですね。

「夜に想う」。一体、誰のことを想うのか。または何を想うのか。

 

映画の中では、非常に大切な部分でこの曲が流れます。

何気なく聞いてきた、このショパンのノクターンが、今までとは違って

私には聞こえ、深くこの曲を想うようになりました。

 

是非、映画「戦場のピアニスト」もご覧になってください。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

ヴァーチャル旅行や電子書籍 

みなさんこんにちは。 😀

関東地方は、今朝はちょっと寒かったです。

早く暖かくなって欲しいですが、日本国内では雪で大変な思いをしている

地域もあります。急にあったかくなると雪などが溶けて、大災害になる事

もあるので、くれぐれもご注意ください。

さて昨日に、コロナをきっかけに私たちの生活に変化が生まれた、

と書きました。 そう、この私もブログを始めたのは、

コロナの第一回「緊急事態宣言」後より、本格的に始めました。

 

初めの頃は訳がわからず、ZOOMによるセミナーも受けていました。

今現在、たくさんある、オンラインセミナーはずいぶん活用させて

いただきました。本来なら都心に出向き、帰宅時刻を気にしながら受講

するところを、その心配なく自宅で受けられた、おかげでこうしてブログを

書いています。

 

昨日もヴァーチャル旅行の話をいたしましたが、それがあるんです。

昨夜発見しましたが、皆さん「ストアカ」ってご存知ですか?

ストリート アカデミーの略ですが、いろいろなセミナーや講座を

オンラインで受けられるのです。

 

 

ヨガや話し方、絵の書き方や書道など、もう本当にたくさんの講座があります。

その中に、「バーチャル イタリア旅行」がありました! 🍕

講座を受け持つかた(先生)の解説付きです。 

 

私は、イタリアは一度行ったことがありますが、これから行く方などは、参考にして

から現地に行くという方法も良いと思います。 なぜなら素晴らしい景色だけでなく

当時は難民や子供が、旅行者のバッグからお財布などを抜き取る事件がかなり発生して

いたのです。その手口は巧妙で平和な日本では考えられないようなやり方が横行して

いました。

 

例えば、突然目の前に新聞紙を広げてきて、怯んでいるすきに、もう一人の人が背後から

財布を抜き取るとか、子供が数人ニコニコしてきて、可愛いねなどと写真を撮っているすきに

バックごと持っていくとか、もういろいろあります。

 

まあ、それも含めて旅は面白いということになりますが、嫌な思い出は少ない方が良いです。

 

毎日ニュースなどで、感染者数をみていますと、だんだんと減少しているようですね。

これは良いことですが、気を緩めてしまうとまた感染爆発が起こります。

ワクチン接種も始まりました。皆さんは接種を進んで受けますか? 🏥😞

 

医療関係者の中にも「様子見したい」方がおられるようです。当然ですよね。

接種希望されない方は、引き続き「ステイ ホーム」型生活を続けた方が良さそうです。

私個人としては、この「こもる生活」が結構(すきである)ということがわかり、

元々、出不精でしたが、もはや一種の「ひきこもり」に近いかもしれません。

でも旅行は好き! という感じです。 🗽

 

旅行の何が好きって、とにかく行くまでのワクワク感、そして空港に着いた途端に

感じる、インターナショナルな雰囲気、その後機上の人になり、人類の英知を感じる

離陸、もう涙が出そうになる程感動するんです、私。 🛫

 

到着したら、もう私を知っている人など、どこにもいません。周りにも同じように

うろうろして困っている人もいます。 いきなり私に英語で質問してくる方もいます。

空港では、自分も外国人ですし困ったら誰かに聞きましょう。

 

少し英語ができる私としては、英語の通じないタイに行ったのは衝撃的でした。

なんとかなるでしょうと思っていましたが、英語がわかる人を探すのに苦労したり

「英語に頼るからだ」などと娘に言われる始末。😞

 

今や自動翻訳機があり結構良いそうです。役には立ちますね。

現地の方と少しお話しなどしてみたい方は、是非少し英語を習ってみても

良いでしょう。現地で話せると自信もついますし、第一、楽しい思い出に

なります。そこから友達になって、その友人を訪ねて行く、というパターンを

若い頃はよくやっておりました。

 

ご参考までに。(一日3分で良いそうです。)

スタディサプリENGLISH(新日常英会話コース)

 

さて次回からは、考えた末「ピアノ曲 100選」シリーズを

お届けします。音楽史の記憶も生々しいまま、主にヨーロッパの

古典、ロマン派、近代くらいまでの名曲をご案内したいと思います。

皆さん既にご存知の曲も多いと思いますが、お楽しみに。 😁

 

ではまた。

 

旅行と仕事 

皆さん、こんにちは!

お元気ですか。 今日の関東地方の天気は快晴、でも風つよし。

少し長かった「西洋音楽史」もなんとか終わり、これからは少し旅の話などを

書いていきたいです。とその前に。

 

皆さんはお仕事の形態をどのようにされていますか? 自営とか会社勤めとかいろいろありますが。

そして、昨年よりコロナの影響で、仕事の形態に変化が出てきました。

それは「リモート ワーク」ですね。

小池都知事の言葉ですが、いわゆる「在宅ワーク」でしょうか。

 

自宅で会社の業務をすることですね。 必要なものは、PCやプリンター、そしていろんなソフト

ですね。 朝早く起きて電車に乗らずに仕事をスタートできます。

仲間の姿などありませんが、ミーティングをする必要があれば、zoomなどを使用します。

ですから、電気屋さんのお話ですと、「今年はプリンターや、加湿器が売れて在庫なしです」。

なるほど、もう自宅がオフィスと化しているのですね。

 

 

会社に行かなくても仕事はできるのだ、と多くのかたが感じましたね。

これはテクノロジーのおかげでもあります。

私も自宅で仕事していますので、zoomなどを使用することがあります。

うっかりしているとヴァージョンアップしていて、使い方が少し変わっていたりして

慌てます。 常に向上しているのですね。

 

私も向上しなくては、そうだ少し本でも読もう!と思いたち図書館に行きましたら。

 

 

えー、本も借りられないなんて、、、隣の雪だるまも少し曇り顔。

そうか、これからは「電子書籍」の時代に入っていくのかな、と思いました。

だったら、好きな旅行もバーチャルで楽しむようになるのでしょうか?

結構リアリティーあるらしいですけど、本当に楽しめるのかしら。

 

と思っていましたら、

 

 

こんな素敵な写真を発見しました。

とある日本人カップルの400日にわたる新婚旅行の記録です。

海外のいろいろな国をドローンで撮影したものです。

いやー、テクノロジーはすばらしいですね。もちろんその発想も素晴らしい。

是非皆さんもご覧になってください。 あるいは、もうご覧になりましたか?

 

昔は思い出を写真に残し、アルバムにはって楽しみました。

今や、思い出は映像です。みたらその臨場感がすごいです。

でもやっぱり現地にも行ってみたいですよね。

いつになったらいけるやら。 それまで元気でいないとなりません。

お小遣いもためておかないとなりません。

 

先日のライブハウスの様子。

 

少しづつですが、エンタメ業界も工夫を凝らして、ライブを開き始めました。

もちろん、ライブ配信という、新しい形も出てきましたけど、

やっぱり生演奏というのは、捨てがたいし残さなくてはいけません。

 

 

テクノロジーとの融合を模索して、音楽も進化して行くのですね。

それはやがて、音楽史に残っていきます。

その渦中に私たちは生きているのです。

 

さあ、これからどのような変化の中で生活して行くのか

それは、あなた次第です。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇都宮へ行ってみました。 宇都宮といえば餃子?  しばらくぶりの宇都宮の様子です。

みなさんこんにちは。今日はちょっと旅気分ということで。

 

私は今、宇都宮から帰ったきたところです。

普段は車で移動している私には、電車に乗ることが久しくて、

ちょっと、疲れました。でも良い気分転換になりました。

 

まずは駅の近くの駐車場へ車を止めて、電車に乗るのですが、

Suica をチャージしなくては乗れませんが、もう直ぐ電車が来るので

まずは改札通過して電車にとび乗りました。

 

ガラガラの電車内、あれ、今日は土曜日ですよね?

そう、私が電車に乗るのは、多分10ヶ月ぶりくらいになります。

電車に乗らなかった、この間に世の中は変わっていたのです。

 

不要不急の外出をやめましょう?

どこまでが不要で、どこまでが不急なのか。

私には必要なことや、急なこともあったけど、電車に乗らずに

済ませることができるように、世の中も変化したのだ、と思いました。

 

もちろん私たちも変化を余儀なくされましたよね。

電車内の皆さん全員マスクをしてました。車内放送でも呼びかけています。

そして車内が「ちょっと寒いかも」と思ったら、換気のために

窓を少し開けてありました。 なるほど、やはり世の中が変わっている。

 

さらに放送では、車内での大声での会話はお控えください、というもの。

これは日本人は守れそうですけど、みんなひそひそ話するのですかね。

朝の通勤、通学の電車内を知りませんが、今はどうなっているのでしょうか。

 

電車内の人は皆、下を向いてスマホをみていました。 これが静かな理由の一つ。

これが今の電車内の風景ですよね。

私は自分のスマホのバッテリーが少なくて窓の景色をずっとみていました。

そんなことしているの私だけでした。

 

しんと静まりかえった電車内、一体みんなどこにいるの?   家にいるの!

だって「ステイ ホーム」ですからね。

 

以前まだ子供が小さかった頃よく電車に乗りました。

車が日常的でしたから、電車やバスに乗ってみたい、と子供がいうのです。

そうか、あまり乗ったことがなかったからね。

 

特にボックス席がお気に入りで、そこでお菓子を食べると、旅気分。

私も必ずお菓子を持参します。旅先にお店がなかったりした時に、やはり必要です。

旅には食べ物がつきものです。景色と食べ物はセットなのです。特に女性の場合は?

 

 

ちょっとピンボケで申し訳ないですが、二荒山神社の入り口です。

幹線道路の脇にあります。 正面の長い階段、見えますか?

あれをみて本日は登りませんでした。でも確か二荒山は日光にもありますね。

 

宇都宮の街中は、しまっているお店が多く、これもまた変わりましたね。

この宇都宮はジャズプレイヤーの渡辺貞夫さんの故郷、ということで商店街には音楽が流れ

小さな野外ステージなどが、以前ありましたが今は全体的に静かでした。

目抜きどうりにあったパルコも閉店していました。

 

 

さて宇都宮といえば、餃子でしょう!

ところがやはりしまっている店が多く、今日の遅めの昼食は

インドカレーです。 インド人従業員の男性が丁寧に応対してくれました。

お客さんも半数は、インド人やネパール人だそうです。

 

辛さは何段階もありましたが、一番甘いのにしました。

2種類のカレーが選べましたが、私は「たけのことチキン」「バターチキン」に

しました。たけのこをインドで食べるとは思いませんが、日本人向けにアレンジした

のではないでしょうか。なので私も今度たけのこ入りのカレーを作ってみようと思います。

 

ナンが甘くて、スイスイと入る感じです。ご飯が可愛らしくて、「これで足りるかしら」と

思いましたが、途中から少し苦しくなってきました。

 

  

 

そしてバニラアイスとコーヒーで、レディースコース 800円でした。

インド人やネパール人がよく来店するらしいので、故郷の味に近いのでしょうね。

おいしかったです。ごちそうさまでした。

 

場所はJR宇都宮駅前、パスのロータリーの出たところ直ぐのビルの2階でした。

以前はなかった新しいお店で、そのビルの上にヨガ教室があるようです。

 

本日はこんな感じです。また音楽史の続きを書きます。

そしてあと少しで音楽史は終わりにしようと思います。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

節分 124年ぶりの2月2日の節分の今日 神社に参拝してまいりました。

みなさんこんにちは。

今日は珍しく2月2日の節分なので、いつもとは違う神社に参拝してきました。

 

自分の今年の吉方上にある神社にお参りすると良い、と

ある方がおっしゃっていましたので、では行ってみましょう、ということで

初めての参拝させていただきました。

 

 

結構大きな神社でした。

 

 

いつもは手を洗い、口を清めてから参拝するのですが、

現在はこのように綺麗なお花を敷き詰めてありました。

もちろん手は消毒して、マスク着用ですね。

 

 

そしてお坊さんたちが続々本堂へ入っていきます。

そして、法要が始まりました。私たちは本堂には入れませんので

音声が聞こえてきました。大太鼓に合わせて熟練した住職さんたちの声が

響きます。 そしていよいよ、

 

 

赤鬼が松明を持って登場!

これでわかりました。場内にはたくさんの消防団、消防士の方々がたくさん

配置されていました。

 

 

松明の炎で私たちの悪業を焼き払うのでしょう。

「私の悪業も焼き清めてください!」という気持ちで写真を撮りました。

消防士の方がつきっきりで後をおいます。

 

この時は昼間でしたが、夕方5時からもあるそうです。

薄暗い中での松明は、なんか雰囲気も違うでしょうね。

皆さんもよかったら行ってみてはいかがですか?

 

 

鬼が去って、松明の火の粉を消防関係の方が、急いで揉み消します。

その後、御住職さんたちの「豆まき」が始まりました。

例年ですと、お相撲さんなどが夜の部(夜8時頃から)に豆まきをしていました。

以前は、横綱、白鵬や朝青龍なども来場しました。

 

その後地元の議員さんやら、年男、年女の皆さんが元気に豆をまきました。

 

 

最後に私は撒かれた豆を踏みしめて、参拝をいたしました。

いつもと違う新鮮な気持ちで、新しい年のお参りをいたしました。

 

場所は、不動ヶ岡不動尊聰

東武東上線「加須駅」から徒歩15分くらいでしょうか。

少し出店も出ていましたが、おそらくいつもよりも少ないでしょうね。

 

今日は暖かくてラッキーでした。

おみくじも、よかったです。(内緒です。)

皆さんも気分転換を兼ねて、お出かけしてみませんか?

あまり長居はできませんけどね。

 

今日はこれでした。

ではまた。