「ワルトシュタイン」「エステ荘の噴水」 ピアノ名曲集 ベートーベン、リストの作品より

みなさんこんにちは、お元気ですか?

桜が散り始め、入学式も終わり、いよいよ新しい生活が

始まった方も多いと思います。

式典には音楽がつきものですが、最近では「校歌」なども歌うことが

あまりないようです。少し寂しいですね。

 

さて今日お届けする「元気の出るピアノ曲」は

ベートーベンとリストの作品からです。

 

ピアノソナタ 「ワルトシュタイン」

 

ベートーベン作曲のピアノソナタ「ワルトシュタイン」(第21番)

ハ短調 作品53 から第1楽章

 

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この曲の「ワルトシュタイン」というのは、ワルトシュタイン公爵のことで

ベートーベンはこの公爵からピアノをプレゼントされたことがあったそうです。

しかしこの曲を書くきっかけは、パリのエラール社から当時の最新式のピアノを

もらったことで、楽器の進歩は(特にピアノ)は彼の創作意欲をかき立てたようです。

 

また、ピアノの発表会や、受験生にとってはおなじみの曲ではないでしょうか。

ベートーベンらしい、すっきりとしたダイナミックな曲ですね。

 

次の曲はハンガリー出身の作曲家であり名ピアニストであったリストの

「エステ荘の噴水」です。 もう題名からしてイメージが湧いてきます。

 

 

エステ荘の噴水「巡礼の年」 第3年」より

 

リストが晩年に書いた「巡礼の年第3年」の4曲。

水の情景を見事に音に移し替えた曲で、ラヴェルの「水の戯れ」や

ドビュッシーの「水の反映」などの先駆けを成すものです。

 

リストは12歳の時に2度目のピアノの演奏会を開いていますが、その時に

ベートーベンが会場で彼の演奏を聞き、大変感心して、舞台に上がり

リストを抱きしめ、褒め称えたそうです。

今、こうして2人の作品を同時に聴くことができるのは、ありがたいです。

 

 

ベートーベンとリストです。晩年のリストの写真は珍しいですが、長い髪は

やはりリストのポイントですね。大変良い顔をしています。芸術家の顔ですね。

 

フランツ・リスト

 

ハンガリー生まれのリストは10歳の頃にウィーンに移住して演奏活動などを

行っていました。その頃の先生は、あのツェルニーや、サリエリだったそうです。

しかし彼が15歳の時に父が他界し、ピアノ教師として家計を支えたそうです。

同時に障害にわたりカトリック信仰を深めました。

 

1831年にパガニーニの演奏を聞き大変な感銘を受け、自らも超絶技巧を

目指すようになりました。

同時期の友人としては、ベルリオーズ、ショパン、シューマンなどがいます。

そして当時としては身長も185センチもありアイドル的で、しばしばその演奏を聞いた女性が

失神してしまうほどだったそうです。

 

正式な結婚ではありませんでしたが、マリー・ダグー伯爵夫人とスイスへ

逃避行して約10年間生活をしました。そんな2人の間には3人の子供がおり

そのうちの一人は、のちに指揮者になる、ハンス・フォン・ビューロー と

後にワーグナーの妻になる、コジマである。

 

1865年からは、僧籍に入るが典礼を司る資格はなかったために、作曲活動も

続けていた。1870年代になると彼の作品からは次第に調性感が薄くなっていき

この「エステ荘の噴水」は20世紀の印象主義音楽に影響を与えた。

晩年リストは、鬱病、虚血性心疾患、慢性気管支炎などに苦しんだ。

 

1886年、バイロイト音楽祭でワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を見た後に

慢性気道閉塞と心筋梗塞で他界した。

 

まとめ

 

みんな誰かの影響を受けて、そして誰かに影響を与えている。

特に優れた芸樹家たちは、それを強く感じますね。

もちろん私たちも、お互いに影響しあって生きています。

良い影響も、よくない影響もありますが。

 

皆さんが影響を受けた方はどなたでしょうか。

幼い時は両親や兄弟、親戚の方などですが、学校生活が始まり

学友や、サークル仲間、今ではコミュニテイーなどの方達との関わりも

ありますね。現在はコロナの関係で、人間関係に少し変化が出てきたかも

しれません。 それも良い変化でありたいです。

 

ではまた。

 

お知らせ

新生活に新しい習慣として、ピアノを初めてみませんか?

今はかなり良いテキストが出てきています。

現役ピアノ講師も私としてもおすすめです。

まず、初めてみる、という感じでお気軽にスタートしてみては

いかがでしょうか。

 

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ピアノ名曲集 元気の出る曲シリーズより  「飛翔 と「ロンド・カプリチオーソ」

みなさんこんにちは。お元気ですか?

いつもご覧くださり、ありがとうございます。

今まで毎回、作品を1〜2曲ご紹介していますが、本日から

毎回2〜3曲づつまとめてご紹介したいと思います。

 

今日の作品はまず、シューマンの「飛翔」、そして

メンデルスゾーンの「ロンド・カプリチオーソ」の2作品です。

 

飛翔 シューマン

 

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飛翔 「幻想小曲集 作品12」より。

 

この曲集はロベルト・シューマンが1837年に作曲した、8曲からなるピアノ曲集です。

第1曲から、それぞれにタイトルが付けられている。その第2曲めが「飛翔」です。

ロンド形式のヘ短調で、最も有名な作品です。力強い冒頭が印象的ですね。

 

ロベルト・シューマン

 

 

シューマンは1810年にドイツで生まれました。

7歳の時からピアノを習いましたが、作曲の方にも大変興味を示し、

11歳の時には誰にも教わらずに合唱曲や管弦楽曲を作曲しました。

中学生のことには文学にも興味を示し、その後、法律の勉強をするために

大学へ入りましたが、そこでも法律よりは、文学や哲学が好きでした。

 

20歳の時、ピアニストになろうと決心し、そのため正式に音楽の勉強を

始めました。 シューマンはピアノを練習する時に、天井から下ろした紐に

指をくくりつけて練習していました。これは、指を強くするためにやったのですが

あまりに無理をしたため、かえって指を痛め、ピアニストには慣れませんでした。

 

それでその後は、作曲や文学の方に力をいれるようになったのです。

 

作品

 

彼は「トロイメライ」などのピアノ曲を多く作曲しましたが、また音楽の雑誌

も出版して活躍しました。ショパンやブラームスも、その雑誌によって、多くの

人に知られるようになりました。

30歳をすぎてからは、ピアノ曲の他にも、交響曲や歌曲など色々な曲を作りました。

 

33歳の時にメンデルスゾーンが作った、ライプツィヒ音楽学校の先生になりましたが

校長であったメンデルスゾーンと仲が悪くなり、1年でやめてしまいました。

43歳の頃から精神病になり、ライン河に飛び込んで自殺未遂となり、その後精神病院に

入院し、回復しないまま46歳で他界しました。

 

では、もう一曲「ロンド・カプリチオーソ」ホ短調 作品14

メンデルスゾーン作曲です。

 

 

ロンド・カプリチオーソ

 

ロンド・カプリチオーソ ホ長調 作品14

メンデルスゾーン作曲

大変優美な序奏と、後から軽快なリズムがバランスよくて美しい曲です。

メンデルスゾーンについては以前の「春の歌」の時にお話ししています。

ぜひそちらもご覧になってください。

 

まとめ

 

今日は2つの作品をご紹介しました。

偶然にもこのお二人は、一度は同じ学校で「校長と教師」という立場

であったのですね。 今こうして2人の作品を聞きますと、どちらも

素晴らしく、何があったのかは、分かりませんが、後世に残したものは

どちらも名曲です。

 

当時も今も人間関係は難しいこともある、ということでしょうか。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元気の出るピアノ曲 「名曲ピアノ100選」 ショパンのエチュード 第5番「黒鍵」

みなさんこんにちは。

今日の関東地方はあいにくの雨模様です。

天気がよくないと、こうも気持ちが変わるものなのだな、と最近

思います。 現在もあまり外出は奨励されていませんから、こんな日は

家の中でまったり過ごすのも良いでしょう。

 

さて本日、ショパンのエチュード「黒鍵」をお届けします。

この「ピアノ名曲集」に何度も名前が出てくるショパンは、流石にピアノ曲の

名作を多く作曲されたかたですから、うなずけますね。。

 

エチュード 「黒鍵」

 

 

エチュード 第5番 変ト長調

 

この曲『黒鍵』は、ご覧になって見ますと、右手はほとんどが黒鍵ですね、

途中から左手の方には白鍵が出てきますが、お見事です。

エチュードとは「練習曲」のことですが、このショパンのエチュードは

「練習曲」というより名作、名曲ですね、そして、このショパンのエチュードは

どれも演奏に大変高度なテクニックと音楽性が要求されます。

 

このエチュードを弾くために、大変な練習が必要になるということです。

そして指を早く動かす練習には、とても有効です。

 

エチュード

 

練習曲には、目的があります。

だんだんとピアノのレベルが上がりますと、素早く指を動かすことが

要求されてきます。ですから「指が早く動かない!」ではなくて

「指を早く動くようにしましょう」ということです。

ですから、指ならしとして活用している方も多いです。

 

ジャズピアニストの方もまずショパンのエチュードを弾く、という方も

いらっしゃいます。

指を早く動かすことで、演奏に必要なゆびや腕の筋肉が発達して、さらに

演奏しやすくなります。

 

なるほど、やればやるほど上手くなるのですね。

 

 

楽譜

 

次に楽譜を見て見ましょう。

うあーー! フラットが6つありますね。

ピアノの習い始めは、しばらく白鍵ばかりですから、黒鍵と聞くと

弾き辛そう、と思っちゃいますね。でも逆に黒鍵ばっかりと思えば

そうでもないです。 (なーんて! 弾けないけど。)

 

とにかくテンポよく、流れるように弾きたいですね。

 

まとめ

 

ピアノを習っていると、いつかは弾きたい、ショパンの曲。

特にこの「エチュード」はテクニックを鍛えるのに最高ですね。

曲としても素晴らしいので、練習が楽しくなることでしょう。

本当に、「私、ピアノを弾いてまーすー!」 という気分にさせて

くださいます。ありがとうございますショパン様、でも難しいのよ。

 

 

お知らせ。 ピアノを習いたいけど、少し躊躇している方へ、

まず、ご自分で初めて見てはいかがでしょう。

最近は、結構良いものがあります。

千里のみちも、一歩から。

 

30日でマスターするピアノ教本

 

ではまた。

 

現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集 100選」「風変わりな美女」より(l:大リトルネロ)

みなさんこんにちは。

4月に入りました。今日も縁起の良い日だそうです。

宝くじでも買ってみようかしら。

 

さて本日は、エリック・サティ作曲の作品をお届けします。

 

大リトルネロ

 

 

この曲はシャンゼリゼ劇場の舞踏家カリアティスのために

ミュージック・ホールの音楽を織り交ぜて書かれた管弦楽曲で

ピアノの4手連弾用も作られました。

 

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上記の自動演奏は連弾用の楽譜が出てきます。

写真の方がエリック・サティ氏で大変な変わり者だったそうです。

では彼の人生について見ていきましょう。

 

エリック・サティ

 

 

サティはパリ音楽院在学中に指導教授より、才能がないと否定され

1885年に2年半あまりで除籍になった。

その間の作品は、1884年に処女作「アレグロ」(ピアノ曲)や

「アレグロ」、「オジーヴ」、そして「ジムノペディ」や「グノシエンヌ」

などを発表した。

 

あの名作「ジムノペディ」の独特の響きは良いのにね。

 

1887年からモンマルトルに居住し、1890年からコルト通り6番地に居住する。

モンマルトルのカフェ・コンセール「黒猫」に集う芸術家の1人になり、

ドビュッシー、コクトーやピカソたちと交流した。このカフェ・コンセールのための

声楽曲も書いている。

 

名曲「ジュ・トゥ・ヴー」はこの時の作品だそうです。

彼は酒場でピアノを演奏して主な生計を立てていました。ですから

お客さんの邪魔になるような演奏はできませんでした。その辺りも彼の作風に

影響しているかもしれませんね。

 

変わり者と言われる理由の一つに、奇妙な題名をつけることがあげられる。

「犬のためのブヨブヨとした前奏曲」や、「なしの形をした3つの小品」

「胎児の干物」「裸の子供たち」や、バレエ「本日休演」など、

想像するだけでも面白いです。

 

作風

 

若い頃に教会に入り浸っていた影響か、教会旋法(スケール、モード)を

自分の作品に取り込んでいる。そして調性や、和声進行も無視して、対位法の

違反進行も書かれていた。

時代や、やがて無調に入っていきましたから、まさに先駆けでしたね。

教会旋法はジャズの世界でも取り上げています。モードジャスなどがその例ですね。

 

交流のあったドビュッシーやラベルも旋法を扱うようになり、新しい雰囲気を出すことに

成功している。 これはサティの功績でしょうね。

そしてのちに彼は調号表記も捨てた。拍子記号や小節線、終止符すらも廃止した。

これは発展してオリビエ.メシアンなどの現代音楽家へと続いて行った。

 

変わり者伝説

 

彼が本当に変わっていたのか、確かに今までとは違うものを表現したのは事実ですね。

1889年にパリ万博で彼は日本の歌謡曲を聞いたそうです。翌年に薔薇十字教団に入り

1891年に聖杯の薔薇十字教団聖歌隊長に任命されている。

宗教との関わりは深かったようです。

 

1893年にシュザンヌ・ヴァラドンと交際を始め、300通を超える手紙を書き、

6ヶ月後に絶交した。1905年には演奏会の会場で雨傘で決闘して警察に拘留される

など、人間味あふれるかたのようでした。

1925年7月1日聖ジョセフ病院にて肝硬変のため他界。

 

まとめ

 

我が道を行くタイプのサティですね。

人は必ず何かの影響を受けますが、それを作品に昇華させたことが

彼の何より素晴らしかったところですね。 私なども愚痴ばかり吐いていないで、

これを何かに変えてゆくぞ、ぐらいの気持ちがあると良いですね。

 

現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集 100選」 ラプソディー イン ブルー(ガーシュイン)

みなさんこんにちは。

昨日もいまいちパソコンが不完全ですが、本日も続けます。

元気の出る、明るい曲シリーズ、今日はガーシュイン作曲の

ラプソディー イン ブルー です。

 

ラプソディー・イン・ブルー

 

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なんとバーンスタインが指揮をしてピアノも弾いています。すごいですね。

この曲はピアノ独奏と管弦楽のための作品です。

ラプソディー(狂詩曲)は「民族音楽的で叙事詩的な、特に形式がなく自由奔放

なファンタジー風の楽曲」という意味がある。

 

当時はアメリカではジャズが大流行していて、ガーシュウィン自身も影響を受けていました。

彼にとってはジャズを「アメリカにおける民族的な音楽」と捉えていた。

今までにない、アメリカっぽい音楽の代表ですね。

ガーシュウィンはこの曲をたった二週間くらいで一気に書き上げたそうです。

 

ジョージ・ガーシュウィン

 

当時まだ彼はオーケストレーションに精通しておらず、作曲の期間が限定されていることが

加わり、ファーディ・グローフェがオーケストレーションを担当した。

しかしガーシュウィン自身もピアノが達者でしたので、本人が弾くピアノと小編成の

ジャズバンド向けの楽譜も完成されている。現在でもよくブラスバンドや、吹奏楽団でも

演奏されています。

 

曲はジャズの要素を多く含んでいる。

 

 

 

こちらがガーシュウィン本人です。大変に大柄な方だったそうです。

当然手も大きいですから、ピアノ独奏の部分にはオクターブを超えるところがあり

演奏者泣かせな部分ですね。ですから手の小さな女性では弾くことがかなり難しいです。

 

彼はアメリカのニューヨーク生まれです。

ユダヤ系ロシアの移民の子供としてブルックリンで生まれました。

10代からピアノを習い、13歳の時には和声を習っている。

やがて彼は人気ソングライターとなり、1920年以降は作詞家となった兄の

アイラ・ガーシュウィンと組んでミュージカルむけに多くのポピュラー・ソングを

送り出した。

 

1924年に「ラプソディー・イン・ブルー」(Rhapsody in Blue) を発表した。

当時は彼にとって管弦楽法は未知の領域だった。

 

 

ラベルがアメリカで成功した頃の写真でしょうね。彼がかなり背が高いのが

お分かりいただけると思います。

 

そのほかの作品としては、「パリのアメリカ人」や

名曲「サマータイム」を含むオペラ、「ポーギーとベス」

などがあります。

彼のジャズ的な表現はヨーロッパでも高く評価されてた、彼は

ラベルに師事を申し込んだが、「一流のガーシュウィンが二流のラベルに

なる必要はない」と断られています。

 

1935年以降、彼は映画音楽中心に活動します。「Shall We Dance」や

フレッド・アステア主演のミュージカルに数多くの歌を提供しました。

しかし過労がたたったのか、1937年、ハリウッドで映画の作曲中に倒れ

なんと38歳の若さで他界しました。

[Love Is Here To Stay] (1938)は遺作になりましたが、未完であったスコアは

翌年、友人らの手で完成しました。

 

まとめ

 

ガーシュウィンが、管弦楽の名手であったラベルに教えをお願いした、というのは

納得できますが、かなり作風に違いがありますよね。

やはり彼は、その個性を貫いて良かったと思います。

しかし、若くしてなくなったのは本当に残念です。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集 100選」 第2段 元気なピアノ曲シリーズ

みなさんこんにちは。

パソコンが復活して嬉しい限りです。

今日は前回の「不完全」な曲も含めて、ご紹介していきたいと思います。

 

まずは、モーツアルトのピアノ協奏曲です。

 

ピアノ協奏曲 第26番 「戴冠式」第1楽章

 

 

この曲は、オーストリア皇帝レオポルト2世の、神聖ローマ皇帝戴冠を祝して

催されたコンサートで惹かれただけに、端正な華やかさを感じます。

 

「戴冠式」

 

この曲はニ長調KV537は、モーツアルトの最後から2番目の、ピアノ協奏曲です。

1788年の2月24日に完成したとのことです。

現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名曲集 100選」 第2段 元気なピアノ曲シリーズ

みなさんこんにちは。

パソコンが復活して嬉しい限りです。

今日は前回の「不完全」な曲も含めて、ご紹介していきたいと思います。

 

まずは、モーツアルトのピアノ協奏曲です。

 

ピアノ協奏曲 第26番 「戴冠式」第1楽章

 

 

この曲は、オーストリア皇帝レオポルト2世の、神聖ローマ皇帝戴冠を祝して

催されたコンサートで惹かれただけに、端正な華やかさを感じます。

 

「戴冠式」

 

この曲はニ長調KV537は、モーツアルトの最後から2番目の、ピアノ協奏曲です。

1788年の2月24日に完成したとのことです。

昨日のお詫び 

皆さま、いつもご覧いただきありがとうございます。

先ほどめでたく私のPCはなんとか復活いたしました。

もともと機械に弱い私。検索、検索そして検索してやっとなんとか

だいたい元に戻りました。

 

 

 

昨日の編集をしたかったのですが、これがまた厳しく、また次回から

気持ちも新たに投稿いたします。

 

次回は2回分を予定しています。

「元気が出るピアノ」シリーズでございますよ。

お楽しみに。 では次回にお会いしましょう。

 

ではまた。

現役ピアノ教師が選んだ「ピアノ名 曲集 100選」元気が出る曲

みなさんこんにちは。
お元気ですか?

さて今日からは、この名曲集の
「元気が出る曲たち」として春に相応しく、元気を出してゆきましょう!という感じで参ります。

本日のピアノ曲は、モーツァルトの

ピアノ協奏曲です♪。

本日はパソコンの調子がよろしくないので、スマホからやっております。はたしてどうなりますか。

ピアノ協奏曲 第26番

二長調 K.537 [戴冠式]

第一楽章

オーストリア皇帝レオポルト2世の神聖ローマ皇帝戴冠祝しされたコンサートで弾かれただけに端正な華やかさを感じます。
https://youtu.be/OYiqwiSgSZQ

このモーツァルトの絵は、彼の死後書かれたそうで、想像の部分も多いそうです。

 

今は写真がありますので、そのまま残りますネ!

 

今日のまとめ

まとめというより反省してます。
パソコンが早く直せますように❗️

お詫びに、綺麗な桜とお花写真を、どうぞ! って少しピント合ってないけど!重ね重ね、申し訳ございませんでした。

ではまた。