ベートーベンのピアノソナタ ショパンのスケルツオ 「ピアノ名曲集」よりドラマチックな曲

みなさんこんにちは。

雨が続いている地域の方々は、引き続き警戒をしなくてはなりませんね。

 

大雨と言うと、我が家もかれこれ15年間くらい雨漏りに、悩まされました。

ですから雨が降ると、バケツやタライ、ビニールシートやペット用の敷物などを

並べて対応していました。

 

ですから雨が続くと、なんとなくいやーな気持ちになったものです。

 

さて、今日の作品はベートーベンの有名なピアノソナタ「テンペスト」と

ショパンの「スケルツオ」をご紹介いたします。

まずはベートーベンのピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 作品31ー2 

「テンペスト」の第1楽章をどうぞ。

 

テンペスト

 

 

「テンペスト」とはシェークスピアの作品の名前ですが、当時のベートーベンの弟子の

一人であったアントン・シンドラーがこの曲と「熱情」の解釈について尋ねたときに

ベートーベンが「シェイクスピアのテンペストを読め」と言ったと言うことに由来している。

 

では「テンペスト」の意味は、と言うと「あらし」のことだそうです。

1612年頃のシェークスピア最後の作品と言われています。

ロマンス劇であったそうです。

2012年のロンドン・オリンピックの開会式のエキジビジョンでは他のシェークスピア作品

とともに演出上の大きな役割を果たしたそうです。

 

 

作品を描いているときにはもう、かなり難聴が進んでいたようです。

「あらし」のようであり苦悩した彼の心情も感じられます。

 

さてもう一つの作品は、

ショパンのスケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39 です。

 

スケルツオ

 

 

スケルツォとは「冗談」の意味ですが、冗談には聞こえません。

かなり難易度も高く、やはりドラマチックな作品と言えるでしょう。

この作品は彼が29歳頃の作品です。

そしてこのピアノのための4曲のスケルツォの第3番目がこの曲になります。

 

 

いつものお写真ではなく、若き日のショパンの肖像画です。

 

やはり繊細な方だったのでしょうね。

線の細い印象がいたします。

 

まとめ

 

今日の2作品はいかがでしたでしょうか。

憂鬱な雨を服飛ばすようなドラマチックな作品でした。

 

話が元に戻りますが、我が家の雨漏りは業者さんに修理していただき

今では雨風を防げるようになりました。

雨を心配しなくて良い生活は素晴らしいです。

でも今思い出すと、よくタライをいくつも並べて、いっぱいに雨水が

たまると捨てて、また設置するなど、よくやりましたね。

 

皆様のお家は大丈夫ですか?

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

ピアノ名曲集より「ショパンの(葬送行進曲)」「ラフマニノフの前奏曲」

こんにちは。お元気ですか?

5月も半ばを過ぎ、時のすぎる速さを感じます。

 

それにしても昨日の、ガッキーと星野源さんの結婚発表には驚きました。

久しぶりに嬉しいことで、喜んだ気がします。

最近は、何か不安な話題の方が多いですからね。

おめでとうございます。お幸せに!

 

さて今日は、ショパンの「葬送行進曲」より第3楽章です。

 

葬送行進曲

 

 

ショパンが1827年に作曲したこの作品の出版は、1855年です。

出だしから特徴があり、しばしばBGMとしてドラマや映画などに使用されます。

 

1933年の5月ドイツのフランクフルトにおいて、ユダヤ人の著作物を焼く

梵書の祭典がナチスによって実施された際に、ショパンの葬送行進曲が演奏され

ていたそうです。本は火の中に投げ込まれ、焼かれた本の中には、ショパンと交友の

あった、あのハインリヒ・ハイネの著作もあったという。

 

次の作品はラフマニノフの、前奏曲 嬰ハ短調 作品3−2です。

 

ラフマニノフ 「鐘」

 

 

ラフマニノフの作品はどれもドラマチックな感じですね。

彼がピアノの名手であったことは、ピアノの技巧を最大限まで高められた要因の

一つですね。そして大柄なロシア人のピアノ曲は日本人の女性にはかなり厳しい

面があります。

 

ラフマニノフのピアノ

 

 

1891年、彼は18歳でモスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業しました。

金メダルは通例、首席卒業者に与えられたが、当時スクリャービンもまた優秀で

あったことから、金メダルを分け合った。

首席はラフマニノフ、次席(小金メダル)がスクリャービンでありました。

 

その後1892年に同院作曲家を卒業。卒業制作として歌劇「アレコ」を、わずか

数日のうちに書き上げ、金メダルを授けられた。

同年10月8日にモスクワ電気博覧会で「前奏曲嬰ハ短調」を初演した。

この曲は熱狂的な人気を獲得しラフマニノフの代名詞的な存在になった。

 

まとめ

 

今日の2作品は少し寂しさも感じられる作品でした。

作曲者は色々な曲をたくさん書いていますから、人としてもたくさんの

苦労もあったのでしょう。

それを曲のできるのが、すごいですね。

 

人生には山あり谷ありで、平坦な人生はないのです。

ですから、昨日のガッキーの結婚については「がんばってね」、と

いうしかありません。他人の苦労はその人にしか理解できないことも

ありますのでね。

 

歳をとると、このような「老婆心」が出てきます。

でも、乗り越えてください。楽しいことばかりでは成長できませんから。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バッハの平均律より、バルトークのピアノ協奏曲。「ピアノ名曲集」よりドラマティックな曲たち。

みなさんこんにちは、お元気ですか?

今日は雨です。もう晴れ間はしばらく見られそうもないような気がします。

 

私の家の周りには田んぼが多く、毎年ゴールデンウィーク中に田植えをする様子を

毎年見てきましたが、今年は少し遅いような気がします。

皆さんのご近所の田植え状況はいかがでしょうか。

 

さて今日はバッハとバルトークの2作品です。

お二人が活躍した時代はかなり離れていますが、バッハの作品は常に現代風に

アレンジされてきました。やはり普遍的な作品が多いですね。

バルトークは20世紀ハンガリーを代表する作曲家です。

この作品は絶筆となりました。

 

平均律クラヴィーア曲集 第1番 ハ長調

BWV846

 

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ヨハン・セバスチャン・バッハが作曲した鍵盤楽器のための作品集からです。

1巻と2巻があって、それぞれ24の調による前奏曲とフーガで構成されています。

ですから初めが前奏曲で後からフーガが演奏されます。

 

これは自筆の楽譜の「表紙」だそうですが、ペン書きで

美しいですね。

24の調で書かれていますから、初めの方はシャープやフラットが少なくて

弾きやすいと思います。やはり#️⃣や♭が多いと譜面を見たときに、少し考えますよね。

それは昔も変わらなかったようで、一時期全ての曲をハ長調にしてしまうピアノが

あったそうです。私も写真で見たことがあります。ピアノの両脇から棒のようなものを

付けるのですが。

 

でも今そのようなピアノはありません。やはりそれぞれの調が持つ音の美しさが

ありますので、廃れてしまったのでしょうね。

でもあったら弾いてみたいですね。

 

次はバルトークです。

 

ピアノ協奏曲 第3番 第1楽章

 

 

バルトークは亡命先のアメリがでこの曲を書きました。

亡命先でもルーマニアや南スラブの民族音楽の研究に取り組んでいて

アメリカの生活にも馴染めないこともあり、彼の楽譜を出版していた

出版社からのピアノ協奏曲を勧める手紙ももらっていたが、なかなか

着手できずにいました。

 

彼の民族性の取り組みは半端ないです。

 

 

こちらがバルトーク氏です。

 

絶筆と書いたのは、この作品の頃より白血病の末期を迎えていて

妻でピアニストのディッタに誕生日のプレゼントとして着手された作品であるからです。

スケッチを完成させた夏頃から急速に健康が悪化した彼は、家族や

知人のハンガリー人作曲家シェルイらに手伝ってもらい病床で必死に

オーケストレーション作業を続けていたが、もう少しというところで

病院に担ぎ込まれて中断し4日後に他界しました。

 

そのため未完成の部分(17小節位)シェルイが補作することになった。

 

まとめ

 

バッハは暗い教会の楽譜を写して目を患い、晩年には視力を失ってしてしまいた。

バルトークも病気の中、作品を仕上げるという命がけの作業をしていました。

皆さん本当に命を注いでいたのですね。

もちろん現代においても、私たちは命がけで生きていますよ。

特にこの2年くらいの間に、そう感じることがありますね。

 

常に私たちは命を削ってまでも守らなくてはいけないことがある。

例えば女性なら、出産や子育てなど、結構しんどいですよね。

これに仕事が加わると「私命がけです。」と叫びたいこともあります。

他の方は「余裕で生きてます。」みたいに思えてしまいますが、

そんなことは意外と少ないですよ。

 

愚痴の一つも出そうですが、私の主観では

「人生の多くの悩みは疲労と戦うこと」から来る。

この疲労には身体的、精神的、金銭的など「欠乏感」が多いのでは

ないかと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。

 

ではまた。

 

 

 

 

ドヴォルザークのスラヴ舞曲、スクリャービン のエチュード ピアノ名曲集より

みなさんこんにちは。

梅雨入りした地方もある様ですね。

爽やかな春はそろそろ終わり、鬱陶しい季節に入るのか、と思うと

春は短いなと思います。

 

さて本日はドヴォルザークとスクリャービン の作品をお届けいたします。

まずはドヴォルザークから。

 

スラヴ舞曲 第1集

 

 

スラヴ舞曲 第1集 作品46 第2番 ホ短調です。

連弾曲ですね。連弾曲はモーツアルトやシューベルトの時代に社交の場の

楽しみとして女性たちの間で大流行し、一時下火になったものの

ブラームスの「ハンガリー舞曲集」は倒れかかった出版社が持ち直すほどの

大ヒットとなりドボルザークにも同様の期待がかかったというわけです。

 

アントニン・ドボルザーク

 

ドヴォルザーク は1841年にチェコスロバキアで生まれました。

父親は、宿屋と肉屋をしていましたが、ドボルザークは小さい時から

小学校の先生からヴァイオリンを教えてもらい、とても上手に弾いて

お客さんたちに喜ばれていました。

 

14歳の時お父さんはドボルザークに自分の仕事を継がせるためにドイツ語を

習わせようと思い近くの街でドイツ語を教えているリーマンのところへ行きました。

リーマンはドイツ語ばかりではなく、オルガニストとしても活躍していました。

ドボルザークはビオラ、オルガン、ピアノ、作曲も教えてもらい、かえってドイツ語より

音楽の勉強の方が楽しくてたまりませんでした。

 

しかし父親は彼が音楽家になるのには大反対でした。ですがリーマンはドボルザークには

素晴らしい音楽の才能があることを知っていましたので、「ドボルザークに音楽の勉強を

させてあげるように」と父親に頼み込みました。それで父親はやっと音楽家になることを許し

ドボルザークはプラーハに行って正式に音楽の勉強をすることができました。

 

よかったですね、というよりやはり運命的に廻り合わされたのでしょう。

リーマン先生が父親を説得しなければ彼は音楽家になれなかったわけですから。

 

次の作品は「12のエチュード」より、作品8−12、スクラリャービンです。

 

スクリャービン のエチュード

 

エチュード作品8−12

 

 

20世紀最高のピアニストのウラデイミール・ホロヴィッツの演奏です。

改めて見ますと、なんという手の大きさ、そして目にも止まらぬ速さ、迫力

やはり最高のピアニストですね。

指捌きの速さや難曲におけるミスタッチの少なさであれば、現代ではホロビッツ以上の

技巧を持つピアニストは少なくない。しかしながらホロビッツの音は独特であった、と

皆証言しています。 確かにそうですね。

 

 

スクリャービン は1900年頃(この写真は1900年に撮影された)から

ニーチェ哲学に心酔し、とりわけ超人思想に共鳴していたそうです。

その後も神智学にも傾倒したり、作曲にも影響を受けたようです。

確かにこのエチュードも神がかっているという雰囲気ですね。

 

まとめ

 

今日の2つの作品はいかがでしたでしょうか。

個人的には、ホロビッツの演奏が拝見できたことは嬉しいと共に

驚きです。 演奏後の去り方も意外に感じました。

「あっさりと」立ち去る、みたいな。

「弾いている時が全て」なのでしょう。

 

そういうピアニスト昔は結構いらっしゃいました。

リヒテルさんとか、出てきていきなり弾く、など、個性が

凄かったですね。 今のピアニストの方は皆さんとても礼儀正しく

演奏の前後もきちんとしてますね。

 

おそらく小さい頃より、コンクールにたくさん出場されてきたために

そのことは厳しくしつけられてきたのではないでしょうか。

 

ではまた。

 

 

ショパンの「軍隊」ポロネーズ、ピアノ・ソナタ「熱情」 ベートーベン。「ピアノ名曲集」より

皆さん、こんにちは。 お元気ですか?

おうち時間をどの様にお過ごしでしょうか。

私はもともと出不精ですので、以前とあまり差がないのですが、流石に

「何処かへ出かけて、リフレッシュしたい。」と感じます。

 

先日古い友人から、今週の土曜日の午後2時から、新国立劇場での(無観客)

バレエ「コッペリア」が youtube で無料配信されるとのことです。

そうですよね、なかなか劇場へ足を運ぶことも躊躇してしまいますから。

スマホでもみられると思いすが、できれば大画面でみたいですね。

 

さて本日のメニューは、ショパンの「軍隊」ポロネーズと

ベートーベンのピアノソナタ「熱情」をお届けいたします。

まずはショパンのポロネーズ 第3番 「軍隊」です。

 

ポロネーズ 第3番 「軍隊」

 

 

ポロネーズ 第3番 イ長調 作品40−1 は

ショパンが1838年に作曲したポロネーズで、「軍隊ポロネーズ」の通称で

親しまれています。歯切れの良い、気持ちの良いすっきりとした曲ですね。

 

ポロネーズとは

 

このポロネーズの意味は「ポーランド風」の意味だそうです。

日本的をフランス語で言うと「ジャポネーゼ」ですかしら。

ボローニャ風のパスタは「ボロネーゼ」ですよね。

少し話が脇にそれましたが、そんな感じです。

 

そしてポロネーズのリズムもいくつかあるそうですが、

曲中にそのリズムを使用しています。

ショパンの作品の中でも比較的、弾きやすい方ではないでしょうか。

是非皆さんも弾いてみると、楽しいし気分が良いですよ。

 

次の1曲は、ベートーベンのピアノソナタ 第23番 ヘ短調 作品57

「熱情」の第3楽章をお届けいたします。

 

ピアノ・ソナタ「熱情」

 

 

ベートーヴェンはピアノソナタの名作をたくさん残していますが、

その中でもこの熱情「アパショナータ」は通称ですが、大変に有名ですね。

そして彼の中期の最高傑作の一つであります。

音大のピアノ科の学生さんは皆さん、取り組んだ曲の一つでしょう。

 

ベートーベンの難聴

 

この作品の開始時期は1804年頃とされている。

彼の難聴は悪化の一途を辿っており、その絶望から1802年にはついに

「ハイリゲンシュタットの遺言」を書くに至った、ということで、

難聴の中での名作の数々、やはり天才というしかありませんね。

 

「熱情」という副題は1838年にハンブルグの出版商クランツがピアノ連弾用

の編曲版の出版に際してつけたものであるそうです。そして

ベートーベン自身もこの曲の出来に満足していたそうです。

 

まとめ

 

 

本日の2作品はどちらも有名で、必ずどこかで聴いたことがあると思います。

弾いたことがある方も多いと思います。

それぞれの作曲者のエピソードを知ると、作品に対して愛着が沸きますね。

偉大な作曲家も私たちと同じ人間です。 故郷を思ったり、自分の将来を案じたりと

苦悩や絶望の中にあっても、名作を作り出すところが私たちとは違うのでしょう。

 

不朽の名作を多く残した天才音楽家の方たちの人生は、どれもドラマチックです。

ですが、全ての方の人生は、まるで映画や小説の様なのですよね。

そして全く同じ人生を歩んだ人もいません。皆さんの人生は一つの名作です。

それとともに音楽が流れている、そんなイメージが私にはあります。

日々の毎日は単調で地味に感じますが、実はこれがもう私小説なのです。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピアノ名曲集より ドラマチックな名作 「皇帝」ベートーベン、 ピアノ協奏曲 グリーグ

みなさんこんにちは。

関東地方はあいにくのお天気です。

ですが、寒くもなく暑くもない、この季節が私は一番好きです。

ストーブもエアコンも必要ないですから。

 

さて前回より目が覚める様な曲を、ご紹介しています。

本日も2作品ともピアノ・コンチェルト(協奏曲)です。

全曲ではなく、楽章でのご案内です。

もしもっと聞きたくなりましたら、ぜひ全曲を聴いてみてください。

 

ではまず、ベートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」からです。

 

ベートーベン ピアノ協奏曲「皇帝」

 

「皇帝」より第3楽章をどうぞ。

 

 

映像は古都、京都の様ですが、この作品の背景にあるのはヨーロッパにおける

ナポレオンのウイーン占領下で窮乏生活に萎えながら書き上げられた作品であることです。

やっぱり、ここでもフジ子さんの人生と何か重なる気がして、彼女の演奏が一層

深さをましている様です。

 

私個人としては冒頭の部分が本当にベートーベンっぽくて好きです。

そして私たちがベートーベンに求めるものとは何なんだろうと、

考えてしまいます。

 

 

 

では次のピアノ協奏曲は、グリーグです。

 

ピアノ協奏曲 イ短調 作品16

 

第1楽章をお聞きください。

 

 

どこかでお聞きになったことがあると思います。

非常に印象的な始まり方、そしてピアノと合わせづらい出だし。

指揮者の表情やピアニストの手の動きなどがみられて、やはり映像は良いですね。

 

 

グリーグ

 

エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグは

ノルウエーの作曲家です。 「北欧のショパン」と言われもするそうです。

民族色を感じさせる作曲家ですね。

この曲が唯一の協奏曲で1868年彼が25歳のときの作品です。

と言ってもこの曲に何度も改訂をしていて400箇所以上の変更点があるそうです。

ですので現在演奏されているものは晩年に改訂されたものになっています。

 

彼の代表作には、もう一つ「ペールギュント」があります。

こちらは組曲ですが親しみやすく、そしてどれも名作で毎日でも聞きたくなる様な

曲ばかりで構成されています。

今回は1つ「朝の気分」をお届けいたします。

 

 

朝の気分

 

こんな曲で朝を迎えられたら毎日最高な朝になりそうです。

 

 

こちらがグリーグです。少しアインシュタイン博士みたいですね。

「ペールギュント」はイプセンの戯曲のために作曲した劇付随音楽です。

また彼自身の編曲で何曲かピアノ独創曲やピアノ伴奏の歌曲に編曲されています。

 

 

こちらがピアノ編曲版です。

 

まとめ

 

今日はピアノ協奏曲2作品でしたが、どちらも勇ましいと言いますか、

やはりドラマを感じますね。

「ペール・ギュント」は学校の鑑賞の授業でも取り上げられることが多いと

思います。気持ちにスッと入っていく音楽ですね。

 

特に「朝の気分」は気持ちがモヤモヤしているときに聴くと、かなり気分が

変わりそうですし、爽やかな1日にはこの曲がよく似合う気がします。

明日の朝からぜひお試しください。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リラックスできるピアノ曲、ドラマチックなピアノ曲のご紹介 「ピアノ名曲集」より

みなさんこんにちは。

おげんきですか。

連休明けの週末、私はなぜか少しだるい感じです。

多分休みすぎたのでしょう。 はい、連休中充分お休みいただきました。

 

さて今日は、リラックスできるピアノ曲と、ドラマチックなピアノ曲の2つを

お届けいたします。

 

まずは「子守唄」、おお、なんということか、今の私にぴったりの選曲。

 

ショパンの子守歌

 

あまりショパンの子守歌は聴いたことがありませんね。

でもショパンも人の子、子守歌は知っているでしょう。

早速聴いてみましょう。

 

子守歌 変ニ長調 作品57

 

 

どうですか? とても愛らしい曲ですね。

ですがやはり、かなりの技巧を必要とする「子守歌」です。

元々の題名は「変奏曲」であったそうです。

何度も何度も同じ様なフレーズが出てくると本当に眠りに入りそうです。

 

さて、では次にシリーズ4として、「ドラマチックなピアノ曲集」を

お届けします。もう寝てはいられません。

 

ドラマチックなピアノ曲

 

次もショパンなのですが、皆さんよくご存知の

『革命』です。

エチュード第12番 ハ短調「革命」

 

 

はいもう皆さんよくご存知の曲ですね。

もう寝てはいられません。目が覚める様な辻井さんのテクニック、素晴らしい。

 

この曲はショパンの最初の練習曲集の12番目として出版され、友人のリストに

献呈されました。

 

ロシアによるワルシャワ侵攻

 

この曲は1831年の、ロシアによるワルシャワ侵攻に同じくして公表された。

ショパンは肉体的脆さのため暴動に参加することはできず、その怒りの感情を

代わりにそのとき作曲した多くの作品にぶつけたとされている。

 

失敗に終わったポーランドのロシアに対する革命が終結したとき、ショパンは

「これは私に多くの痛みを残した。それをわかっていたのかもしれない。」と

泣いたと伝えられている。しかしこれは作り話であるそうです。

彼自身は「革命」を全くイメージすることなくこの曲を作ったとする説が

今では有力であります。

 

テクニック

 

ご覧の通り、左手のテクニックが必要な曲です。

ショパンのエチュードの中では難易度は高い方ですね。

 

次にフジ子さんの演奏をお聞きください。

 

 

いくつもの困難を乗り越えてきた彼女の演奏は、やはり深いですね。

そしていつも思うのは、この手の分厚さ。

この険しそうな表情も素晴らしい、魂が震える様な感じです。

演奏後に彼女の表情をみていますと、すぎた昔のことを少し思い出している様に

感じます。いろいろあったフジ子さんの人生、そして皆さんの人生。

 

まとめ

 

 

かなり個人的な趣味で2人のピアニストを選んでしまいました。

ですが、このお2人は日本を代表する世界的な名ピアニストであります。

お二人は全てが順風満帆であったわけではありませんよね。

辻井さんはハンディがあり、フジ子さんの人生もまた紆余曲折があった。

しかし今は押しも押されぬ人気ピアニスト。そしてその実力や表現力は

他の追従を許さない。

 

これを含めてお二人のピアニストとしてのご活躍が、私は称賛されるべき事と

常々思っています。

このドラマチックなピアノ曲シリーズは、気持ちが入りそうです。

 

ではまた。

 

 

ショパンのノクターン第8番 変ニ長調、ショスタコービッチのピアノ協奏曲第2番 ヘ長調

みなさんこんにちは。お元気ですか?

連休も終わり、今日から学校も始まりましたね。

毎回思うのは、連休前のワクワク感と終わってからの、なぜかほっとする感。

「やっぱり、いつもの生活がいいのかな」などと呟く。

 

皆さんはいかがですか?

まあ現在は移動の規制があったりして、自由気ままに旅に出るなんて

出来ませんからね。

そんな今、音楽を自宅でゆっくりと聞くとか、じっくりと弾くという時間を

持つのは大変に優雅な趣味となるでしょう。

昔の貴族の方達は皆さん、そのようなご趣味というより、教養として音楽を

嗜んでおりました。

 

日本の皇族の方々も楽器を嗜み、楽しんでおられます。

そして、かなりの腕前でございます。すばらしいですね。

 

さて本日はショパンとショスタコービッチの作品をお届けいたします。

 

ノクターン 第8番 変ニ長調 作品27−2

 

 

フジ子・ヘミングさんのノクターンはこころに滲みますね。

もう一つ上から運指をみてみましょう。

 

 

この曲には個人的に思い出があります。

忘れもしないあの3月11日。電気もつかず、暗く寒い中、ふと思ったのは

「ピアノは電気がなくても弾けるし。」 そして、

その時この曲を弾いたのです。自分のピアノの演奏でしたが、心にしみていきました。

 

その後は毎日の様に、津波の様子や被害の様子など、言いようのない悲劇でしたよね。

ある日、新聞に乗った写真を見て、私は涙せずにはいられませんでした。

ある吹奏楽部の中学生が、全て流されてしまった家があった場所にたたずみ

泣きながらお母さんの好きだった曲を吹いている写真です。

 

そうか今の私は何も出来ないけど、ピアノを弾いて亡くなった方のご冥福を祈ることは

できるであろう。 そして助け出されて絶望の中にある方たちに一時でも美しい音楽を

捧げる気持ちで弾こう、そう思い毎日弾きました。

実は、それまではショパンのノクターンはあまり好きではなかったのですが、

今では好きとか嫌いではなく人生の一場面になくてはならない曲になりました。

 

 

この作品は、テレーズ・ダボニー伯爵夫人に献呈されている。

大変に美しい曲想でしばしば「貴婦人の夜想曲」と呼ばれている。

夜想曲ですので、やさしく、ゆったりとした曲想ですね。

 

では本日のもう一つの曲、ショスタコービッチのピアノ協奏曲を聞きましょう。

 

 

ピアノ協奏曲第2番 ショスタコービッチ

 

 

一般的にピアノ協奏曲は長く傑作が多いのですが、その中でも有名になる楽章というのがあります。

「あれ、どこかで聴いたことがあるみたい。」と聴いていて感じます。

もちろん親しみやすかったり、覚えやすかったりいろいろですが、そのときの聴いている本人の

心の状態にもよるかもしれません。

 

 

ショスタコーヴィッチ

 

こちらが若き日のショスタコービッチしです。

ショパン国際コンクールの出場するほどのピアノの名手でした。

ですから音楽院を卒業してからは作曲家になるかピアニストになるか

真剣に悩んでいたそうです。(贅沢な悩み。)

しかし後年は小児麻痺の影響で右手が不自由となり、ピアノを弾くことが

出来なくなりました。

 

彼の作品数はかなり多く、

交響曲  15作

弦楽四重奏曲 15作品

協奏曲  6作

室内楽曲  13作

オペラ  6作

声楽曲  13作

映画音楽  37作

ピアノ曲  12作

編曲作品 24作品

そのた吹奏楽曲や合唱曲、バレエ音楽など、かなりの作品数ですね。

 

まとめ

 

今回は少し、物思いにふけるときに良いか、よくないか悩むところです。

この様な曲を聴いて、余計に気持ちが沈んでしまうこともありますし、

懐かしく過去を振り返ったり出来ますしね。

 

皆さんはいかがでしたでしょうか。

ではまた。

 

 

 

 

 

 

ドビュッシーの「版画」より(塔)、 スクリャービンのノクターン変ニ長調 作品9−2

みなさんこんにちは。お元気ですか?

今日は穏やかな日です。外に出たくなる陽気です。

お出かけは難しいですので、庭いじりやお散歩をしましょうか。

近所にも藤の花が見事な公園がありますが、昨年同様ひっそりとしています。

 

こう考えてみると、人混みというのは一種のパワーを感じさせてくれる事なのですね。

まあ、沈んでいても仕方ないので、北欧の人たちのように家の中で楽しく暮らす工夫を

考えてみるのも良いですね。

 

さて本日はドビュッシーとスクリャービンの作品です。

まずドビュッシーの「版画」より(塔)です。

 

「塔」ドビュッシー

 

 

この曲は1889年のパリ万国博覧会で耳にしたバリ島のガムラン音楽の影響が

あると言われています。ガムラン音楽? 聞いたことありますか?

一つ聞いてみましょう。

 

ガムラン音楽

 

 

いかがですか? 長い曲が多いのですが、この曲は短い方です。

ほとんどが打楽器で同じテンポでずうーと続いていきます。

幻想的でなんか良いですよね。

初めて聞いたドビュッシーは、かなり衝撃を受けたことでしょう。

これはバリ島で聞かれるものですが、他に有名なのが「ケチャ」と呼ばれるもので

バリの民族舞踊音楽のことです。 これも圧巻ですから是非みましょう。

 

ケチャ

 

 

どうですか? すごいでしょう?

細かいリズムをいくつかのパートに分かれて刻んでいます。

これはかなりの練習が必要ですね。 体を揺らしてリズムをとっていますね。

昨年、今年はマスクをしてやっているそうですが、やはり迫力に欠けます。

マスクなしでのパフォーマンスを現地で是非みたいものです。

 

さて、だいぶ話がずれてきましたが、ドビュッシーはこのような音楽を見聞きして

驚いたわです。 そりゃ驚きますね。初めて聞いたときの衝撃は私も覚えています。

やはり民族音楽というものは長い時間をかけて完成されたものですから、

その土地独特のリズムや音階を持っています。

それに触発されて、曲を書いた、ということでしょうか。

 

版画

 

ドビュッシーのこの「版画」は3つの異なる土地を連想させる。

 

1  塔        ガムラン音楽の影響がみられるが、ペンタトニックを用いて

インドシナの民族音楽を模倣しており、アジアを暗示している。

 

2  グラナダの夕べ  ジプシーの音階の利用によってスペイン情緒を掻き立てている。

 

3  雨の庭      フランスの童謡が引用され彼の母国フランスの庭園に降る雨が

描写されている。

 

この3つは単独で演奏されることもよくあり、全てが有名です。

 

次にスクリャービンの作品をご紹介します。

 

ノクターン 変ニ長調 作品9−2

 

では早速聞いてみましょう。

 

 

この曲は、学生時代に右手が一時麻痺した際に左手用に作った作品です。

 

アレクサンドル・スクリャービン

 

ロシアのピアニストであり作曲家でもありました。モスクワ音楽院に在籍し、

彼の同級生にあのラフマニノフがいました。手の大きかったラフマニノフに比べ

スクリャービンは小柄で手も小さかったのですが、学生時代に同級生らと

超絶技巧の難曲の制覇数を巡って熾烈な競争を無理に続けて、ついに右手を

故障するに至った。

 

回復するまでの間に、左手を特訓するとともに、ピアニストとしての挫折感から

作曲にも力を注ぐようになりました。

そこから生まれたのが、この曲なんですね。

 

まとめ

 

今日はかなり脇道にそれた部分がありましたが、私個人としては

民族音楽もまた良きものかな、と思っています。

音楽は成熟期をすぎると、外に題材を求めて、当時のヨーロッパのアーテイストたちは

アジアなどへの関心が出てきました。ドビュッシーにとっては、行ったこともない異国ですが、

その初めて聞いた音楽に何かを感じずにはいられなかったのでしょう。

 

スクリャービン の右手を痛め麻痺してしまうほどの練習は、どのようなものだったのでしょうか。

シューマンもそうですがスクリャービンも気難しい性質であったようです。

かなり特異な練習をしたのではないでしょうか。

皆さんも指を炒めるほどの練習はおやめくださいね。

 

ではまた。

 

 

バッハの「ゴールドベルク変奏曲」よりアリア、シューマンの「森の情景」より予言の鳥

みなさんこんにちは。

連休をいかがお過ごしでしょうか?

 

では今日も2曲お届けします。(2曲ではないときが、結構ありますが、)。

バッハとシューマンの作品を、お届けしますよ。

 

まずはバッハの曲からどうぞ。

 

ゴールドベルク変奏曲よりアリア

 

J.S.バッハの作品です。

 

 

「ゴールドベルク変奏曲」は長いのですが、その中のアリアの部分です。

ヨハン・セバスチャン・バッハによる2段の手鍵盤のチェンパロのための変奏曲。

1741年に出版されました。

当時はピアノがなく、ピアノが主流となった時代から20世紀初頭まで演奏されることは

少なかっタノだそうです。

 

しかし1956年にピアニスト、グレングールドは、レコード会社に反対されながらもデビュー版に

この曲を選択して世界的な大ヒットとなりました。

 

 

グレングールドについて

 

この作品で忘れてはならないピアニストがグレングールドです。

独特の演奏スタイルとしても有名でした。

カナダ生まれのピアニストですが、彼の母親は、ノルウエーの作曲家グリーグの

親戚でありました。

 

母親は声楽の教師でピアノも弾き、父親は声楽同様にヴァイオリンの演奏ができました。

7歳にしてトロントの王立音楽院に合格し、地元トロントでのピアノ演奏のコンペティション

で優勝し、1945年にオルガン奏者としてデビューしました。

トロントの王立音楽院を最年少で最優秀の成績で卒業。

そのが1947年に初リサイタルを行って国内での高い評価を得ました。

 

その後、アメリカや海外での公演をこなし、絶賛されましたが、50歳という若さで

脳卒中のために他界しました。

やはりバッハのこの作品で一番に浮かぶのはこの、グレングールドです。

 

次の曲はシューマンの作品です。

「森の情景」より予言の鳥 作品82−7 です。

 

森の情景より予言の鳥

 

 

「森の情景」作品82はシューマンが作曲した全9曲からなるピアノ独奏曲集です。

森を題材にした作品は、ロマン主義において重要な要素の一つであったそうです。

 

1曲目からの題名を書きますと。

1。森の入り口

2。待ち伏せる狩人

3。寂しい花

4。気味の悪い場所

5。懐かしい風景

6。宿屋

7。予言の鳥

8。狩の歌

9。別れ

 

となっています。

森に分け入って、お話が始まる、という感じですね。

この「予言の鳥」は不思議な雰囲気の漂う曲ですね。

 

森には精霊が住んでいるとか、森林浴など、不思議な現象が起きたりしそうですね。

また、よくいうのが「木こりにはげ無し」と昔から言われていまして、森に分け入って

気を切る方達には、はげている方はいないそうです。

本当でしょうか?

 

まとめ

 

 

今日の2つの作品は私的には、午睡にぴったりな感じでした。

それというのも、バッハの知り合いの14歳少年が不眠症で悩んでいる、ということで

この曲を書いた、という本当かどうかよくわからないお話があるくらいです。

 

お昼寝ができるのも連休の特権ですよね?

えっ、こんなこと考えてるの私だけ? 実は

昨日は見事にお昼寝を堪能いたしました、が起きるときのなんとも言えない

気怠さ、「ああ、寝るんじゃなかった、」と後悔しきり。

 

もっと良い休日を皆さま、お過ごしください。

ではまた。