大晦日です。音楽史をお読みくださりありがとうございました。 また来年も続きがあります。

一年ありがとう

皆さま、こんばんわ。

今日は大晦日の日になりました。いかがお過ごしですか?

 

私は、ここ数年は大晦日に「カウントダウン ジャズ」に参加してきました。

近くのライブハウスで夜から元日にかけて、ジャズのジャムセッションに参加させていただきましたが、今回は中止となりました。

残念ですが、家にいる時間が長くなりました。

 

今年は早く過ぎましたね。

色々ありました。そして、皆さん全世界共通の「コロナ」。

こんなことを経験するとは思いもよりませんでした。

 

あともう少し、耐えていきましょうね。

皆さんも、この一年いろいろなことがあったでしょうね。

そして来年に向けて、また一歩一歩進んでいきましょう。

断捨離

私は連日の大掃除と断捨離に明け暮れ、どうやら年明けも続くような気配です。

今年は、いくつもの電気製品を断捨離いたしました。

 

長く大切に使用してきた物も、修理が型が古いためにできずに、泣く泣く手放したホームベーカリー。

何度も何度も「今まで美味しいパンを作ってくれてありがとう」となでなでして断捨離しました。

 

でももしかして、これは断捨離ではなく、処分なのか?と思ったりもしました。

いずれにしても愛着のあるものとの別れは、悲しいものです。

何せ私は物もちが良い方なので。

 

新しく石油ストーブを買いました。

本当は、新年に入ってから点火式をしようと思っていましたが、あまりの寒さに付けてみました。

新しい炎が真っ赤に燃えています。きれいです。

これは災害時にも使用できる、電気も乾電池も使用しないタイプです。

右下のレバーをクルクルと回転させて、点火します。

 

以前使用していた石油ファンヒーターは30年以上使用しました。

私の結婚生活よりも長いのです。夫よりも私の人生により長く連れ添ってくれました。

音楽史

新しいストーブも大切に使っていきます。よろしくね。

さて、続けてきました「音楽史 西洋音楽編」は現在、古典派からロマン派へと移っていく流れです。

一番、良い時代であったように思います。

 

世の中では、これからは「風の時代」と言われています。

大きな会社組織から小さな個人へと、移り変わっていくのだとか。

 

そのために、まず自分が追求したいテーマを決めておくと、良いのではないか、と私は思います。

自ら道を造っていく、という感じでしょうか。

皆さんは、何か目標がありますか?

 

明日から、ガラッと変わるわけではないですが、ちょうど良い節目ですから、私も来年も目標を考えます。これから。

 

お礼

 

今までこのブログを読んでくださり、ありがとうございます。

より良いブログにしていけるように、来年も続けていきます。

お付き合いくださったことに、感謝いたします。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

やりだすとあちらこちらが気になってしまい、毎日ヘトヘトになって、おかげで毎晩ぐっすり眠れます。

 

早い一年も終わりますが、コロナの感染者数に毎日驚きを隠せません。

皆さんの地域は、いかがでしょうか?

 

 

 

メリークリスマス! クリスマス イブに再び送る ヘンデル作曲「ハレルヤ」をどうぞ。 

メリークリスマス

みなさん、こんばんわ。

今日は、クリスマスイブということで、「メリークリスマス」という挨拶でよろしいのでしょうか。

私はクリスチャンではありませんが、高校がカトリックの学校であった為、この12月のちょうど終業式あたりまでに、毎年(だったと思う)ハレルヤ コーラスを歌いました。かなり昔の話ですが、全校生徒で歌いますと、かなりいい感じでした。

 

このハレルヤ コーラスは英語で書かれていますから、歌いやすいですね。ドイツ語やイタリア語よりも歌いやすいです。ヘンデルはドイツ人なのになぜ英語の歌詞なのか、と思っていましたが、音楽史を知るとすぐにわかります。彼はイギリスでも創作活動をしていた時期があったのです。

 

年末には第9が定番ですが、今年は残念ですね。ベートーベンの「第9 合唱付き」は、ドイツ語で歌いますから歌う前に、まずドイツ語を読めるようにしなくてはなりませんね。一度は歌ってみたいのですが、ドイツ語を覚えるのが大変そうです。

 

まずは「ハレルヤ」を、また歌いたいです。決して一人ではなく、みなさんと一緒にです。

では、どうぞ!

ハレルヤ コーラス

 

大体の歌詞を書いてみました。

歌詞と意味

Hallelujah

Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah

Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah

 

For the Lord God omnipotent reigneth

Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah

For the Lord God omnipotent reigneth

Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah

 

King of kings and Lord of lords

King of kings and Lord of lords

And He shall reign forever and ever

Forever and ever

 

Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah  Hallelujah

Hallelujah

 

上記のように繰り返し繰り返し、歌詞を歌っていくのです。

 

日本語にいたしますと、大体以下のようになります。

 

ハレルヤ

ハレルヤ(10回)

全能の主 治めたまわん

ハレルヤ(4回)

世の国民 今や我らの主に帰するにおよべり

永遠に主治めたまわん

主の主 諸王の王

永遠に主治めたまわん

主の主 諸王の王

主の主 諸王の王

永遠に主治めたまわん

永遠に(4回)

ハレルヤ(5回)

 

大体こんな感じの内容のようです。 とにかく神をたたえています。

 

ヘンデル作曲のオラトリオ『メサイア』第2部の最終曲にふさわしい大作ですね。

ちなみに「ハレルヤ」の意味は、(神をたたえよ)、と賛美することを意味するのだそうです。

 

まとめ

毎年くるクリスマスですが、これから「ハレルヤ コーラス」を聴いてみるのも良いのではないでしょうか。

音楽史は、まだ続きがあります。ヘンデルの出てきたところを、もう一度見直してみましょう。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスツリーの飾り ヨーロッパからアメリカに伝わったクリスマスツリーの飾り

皆さんこんにちは。お元気ですか?

今日から師走。 「先生も走るほど忙しい」という意味ですが、私はピアノ教室の先生をしています。

なぜ、このような表現なのか?と思いましたが、よく考えてみると、先生は大体椅子に座って講義をしたり指導をすることが確かに多いですね。 そう私も座っていることが多いです。でも最近では「座っている時間が少ない方が長生きする」なんてメンタリスト、ダイゴさんの記事を読んで、思うことがありレッスン中は少し立って指導することも多くなりました。

さて本日は少し音楽史ではなく季節柄、クリスマスツリーの飾りについてお話ししたいと思います。

 

クリスマスツリーの飾り

 

これはさっき飾ったばかりのお教室に飾ったクリスマスツリーです。 まあ地味ですね。

 

クリスマスツリーに飾り付けをする、というのはアメリカに移住してきたヨーロッパの方達の習慣の一つです。

ヨーロッパ、特に北欧は冬は凍るような寒さで、外にあまり出ないそうです。ですから室内で楽しく暮らす工夫をしています。

そう言えば、北欧の家具とか食器とかとてもセンスがよく、可愛らしいのが多いですよね。?

 

移民の方達はクリスマスの時期、大きな木に「神様への捧げ物」として、「生贄」の動物を吊ったのだそうです。

アメリカの北部に移住してきたヨーロッパの方達は、冬は凍るように寒いですので、生贄として捧げた動物がいたむ事は考えていなかったのでしょうか。 もちろんアメリカ北部も寒いですが、北欧程気温は下がらないでしょう。 移住してきた方達の地域は、あちらこちらで「生臭さ」が感じられ、また「生贄」の習慣を知らない方たちにとっては、なんと残酷な!とかなってきたのです。

 

それで移住者の方達は、「この先ずっとこのアメリカで暮らしていくのだから」と思った事でしょう。 生贄ではないものをツリーにつけていったのだそうです。 これが現在のアメリカ式クリスマスツリーの原型です。

 

今では、このようなキラキなライルミネーションが見られますね。

 

皆さんのお宅では、いかがでしょうか? 今では宗教などに関係なく、年末を感じる風物詩になっているように思います。

見ていて綺麗なものは良いですから。(生贄より)

もう12月になったのだ、と感じる標みたいなものでもあります。 今年一年は世界中の皆さんにとって苦難の一年でありました。 これほど世界に目を向け、外国の状況を気にした年はありませんでした。 これほどに感染者や亡くなられた方たちの数字を考えますと、これはある意味、「世界戦争」みたいな、しかも相手は見えない「ウイルス」。人類とウイルスの戦いです。

100年前の「スペインかぜ」のように、今第3波と言われています。スペインかぜも第3波まであった、と作家の本田健さんもお話ししておられました。 ぜひこの3波で終わって欲しいです。 そしてアフターコロナに向けて私たちは今までとは違った価値観や生活習慣を身につけていくことになるでしょう。

 

アフターコロナ

 

昨年の今頃はどのような生活を送っていたか、思い出せますか?

私は確か11月の下旬からタイに旅行にいっておりました。楽しかったです。本当にあの時いってよかった、と思っています。

まさか世の中がこんなことになろうとは思いませんでしたから。 またいつ自由に旅行に行けるか、まだわかりませんね。

 

嫌なことばかりあったわけではありません。 こうしてブログを書くことを習慣化できたのは、自粛生活のおかげです。

ピアノのレッスンもオンラインでしてみたり、本当に新たな試みでした。 そして、振り返ればそれなりの成果も出せたのではないかと思っています。 しかし、まだまだ今年を全てを振り返るには早すぎますが、師走ですので早めに今年一年の感想としてお話ししました。

 

生活の変化

 

新たな時代に向けて、生活の変化や仕事のやり方の変化は、否応なしに迫ってきています。 どの年代の方も、これからは今までとは少し違ってくるのだ、と思いましょう。 私個人としては、各学校はオンラインを少しずつ取り入れていくことが良いと思っています。 もちろん他のお教室関係もです。  私もなんとか時代について行こうと必死です。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モーツアルトの妻 コンスタンツェ 彼女は悪妻だったのか 

こんにちは。

もう暑い日は過ぎて、あとはだんだんに寒くなっていくのですね。

寒くなると、なんとなく塞ぎ込みそうになりませんか?

気候は人の気持ちに影響を与えます。

家では陽気に過ごしましょう。

 

さて今日は、「モーツアルトの妻であった、コンスタンツェは本当に悪妻だったのか」

と言うことについて、本を読み解いていきます。

コンスタンツェ

 

天才モーツアルトの妻であったコンスタンツェは、モーツアルトがかつて

歌唱法を指導していた、ヴェーバー夫人の三女である。ヴェーバー夫人は

俳優と結婚したが未亡人となり、3人の娘と一緒にウイーンで下宿屋を始めた。

そこに引っ越してきたのが、モーツアルトである。

 

モーツアルトの父レオポルドは、息子の「女を見る目のなさを嘆き」手紙を送っている。

モーツアルトも、自分の結婚に関してなんとかやっていけると言う内容の手紙を送っている。

しかし、コンスタンツェは、手紙をほとんど代筆してもらっていたので、モーツアルトの手紙さえ

あまり理解できないようでした。

 

しかし1782年の夏、モーツアルトは父親や姉の反対を押し切って結婚した。

彼は26歳、彼女は20歳だった。

結婚式には、父レオポルドや姉のナンネルは参加せず、結婚後にも

モーツアルトは姉に会うことはなかった。

 

新婚生活

 

初めの5~6年ほどは、2人の生活は順調で満ち足りていた。

1784年には予約演奏会に174名を数え、収入も多く、モーツアルトは多忙を極めた。

翌年の2月、レオポールドはウイーンを訪れ、息子の生活ぶりを姉のナンネルに知らせている。

 

彼の住まいは、必要な家具が全部揃っている非常に立派な家だ。

家賃も払っているし、予約演奏会も素晴らしいものであった。

翌土曜日の晩、ヨーゼフ・ハイドンさんが会いにきてくれ、

「神に誓って、御子息は、私が個人的に知っている人や、

名前だけ知っている人の中で最大の作曲家です。

彼には審美眼があり、その上作曲に最も深い造形を持っています。」

 

と、親として一番嬉しい言葉をかけてもらったのです。

「連日演奏会があり、それ以外は、教えること、作曲に当てられる、この目まぐるしさはとても

筆では表せない。」

「息子に借金がなければ、銀行に2000グルーデン預けられると思う。確かに金はあるのだが

飲み食いに関する限り、台所は極端に慎ましい。」

なぜか? モーツアルトが作曲に没頭し、悪い人間と付き合って放蕩生活を送る中

気晴らしに賭けをするモーツアルトに対して、コンスタンツェもさほど節約をした

気配がないのである。

 

次第に困窮していくモーツアルト。友人に借金をお願いする手紙も残されている。

なぜなら妻コンスタンツェは、足の治療のために、温泉療養地のバーデンに長期滞在して

いたからである。それに末子を妊娠中であった。そこには家事をする女中もいて、この辺りが

コンスタンツェの浪費と思われる原因かもしれない。

 

魔笛

 

長期療養している妻に何度も手紙を送ったモーツアルトでしたが、コンスタンツェは

一度も手紙を出さなかった。しかしながら、手紙を代筆してもらうことが多かったために

書けなかったとするべきか、モーツアルトに対する愛情があまりなかったのか、この辺も

悪妻と言われる原因かもしれません。

 

1791年9月30日、モーツアルトの最後のオペラ『魔笛』が初演された。

コンスタンツェはそれを見るために帰宅したが、1週間後にはすぐにバーデンに戻っている。

コンスタンツェもまた、幼児性を持つ女性だったように思われる。

 

結婚して10年後の冬

 

コンスタンツェと結婚して10年後の冬、35歳のモーツアルトは最期の

夜を迎えることとなる。そばにいたのは義妹のゾフィーであった。

かけ布団の上には「レクイエム」が置かれ、モーツアルトはジュースマイヤーに

自分の考えを伝えて、自分が死んだら仕上げるようにと説明していた。

 

少し経って医者のグロセットがやってきて、高熱のモーツアルトに「冷罨法」を

処方しましたが、もう意識が戻りませんでした。

モーツアルトは自分の子供にあまり関心を持たなかったと言われる。

コンスタンツェもモーツアルトの埋葬には立ち合わなかったために、今でも

彼の墓地がどこにあるかわかっていない。結局モーツアルトの没後17年後に

国事顧問のニッセン(のちに再婚する相手)などの説得されて探しに行ったが、なんの

手がかりもなかった。

 

モーツアルトなきあと

 

彼の死後コンスタンツェは、モーツアルトの記念公演を開いたり、遺稿を売却したり

財産を築いた。住んでいたアパートを間貸ししていた。

1793年2月、公使館参事官としてウイーンにやってきたニッセンと同棲する。

ニッセンはコンスタンツェの子供を愛し、親切な助言や経済支援をしていたが、

コンスタンツェと子供との間はよそよそしかったらしい。

 

1820年5月、ニッセンは病気の発作を起こし、年金も得て療養を兼ねた旅が

始まる。各地を回り、モーツアルトの姉のナンネルにもあい、「モーツアルトの伝記」

の出版に関わっていた。しかし1826年の3月に完成間近にしてこの世をさった。

 

モーツアルトより、枢密院顧問官に任じらたほどの良識を持つ大人であったニッセンの方が

比重が重かったのか、義父レオポルドの隣に立派は墓石をたて、後にこの墓地を実家の

ヴェーバー家で占有してしまった。

 

ニッセンは65歳で没したが、コンスタンツェは人生最後の住まいを、ニッセンの墓のある

ザルツブルグに構え、妹のゾフィーと一緒に住んだ。

その後もしばしば訪れるモーツアルト崇拝者などには、遺髪や金時計、生前使用していた

インクスタンドなどもあげてしまった。

 

彼女は60代から70代半ばまで日記をつけていたが、家庭内のことや健康に関したこと

息子のことなどで、モーツアルトに関することは何一つ書かれてい無い。

1842年3月6日、コンスタンツェは79歳の長い生涯を閉じた。

 

まとめ

 

彼女にとって、いったいモーツアルトとは、なんであったのだろう。

最後まで謎が多いですね。

皆さんをどうお感じになったでしょうか。

 

天才モーツアルトは、聖楽でしたが、その生涯は困窮していたようです。

それを微塵も感じさせない、彼の音楽の素晴らしさを聞いていきましょう。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

モーツアルト その手紙  天才モーツアルトの意味不明の手紙など

こんにちは。

秋らしい毎日ですね。

芸術の秋ですが、演奏会やオペラなどはまだ、公演されていませんね。

大変寂しいです。

有名なオペラを作曲した、天才モーツアルトの手紙について、今日は

お話しするのですが、かなりお下劣な言葉が多く、果たしてどこまで表現できますか。

 

モーツアルトの手紙

 

モーツアルトの手紙については、「性にまつわる事項や、ことに糞尿や尻や肛門に

関わる部分」がよくあります。

 

ローマから姉のナンネル当ての追伸

「さようなら、お元気で、ベッドでウOコをおたれなさい。そうすりゃベッドは

めちゃめちゃだ。」

ウ0コを垂れたり、それにキスしたり、食べたりなどと言う表現はモーツアルト家では

決まり文句で、別に驚くべき表現ではなかったらしい。

 

このモーツアルト家にとっては決まり文句であった、と言う部分が私には不思議に思います。

なぜなら、モーツアルトの父、レオポルドの手紙は大変立派で、常にアマデウス(モーツアルト)

の言動を叱責し、心配する様子があるからです。

とにかく、幼い子供が好みそうな表現の一つではあると思います。

 

しかし、あまりにも品の悪い冗談があるとして、「モーツアルト伝」からは除外されてしまった

「ベーズレーレ書簡」と言うものがあり、次男であったカール・トーマスから人手にわたる間に

あまりの卑猥さに抹殺の危険すらあった。

 

ベーズレ書簡

 

有名なこの「ベーズレ書簡」は、言葉遊びのようでもありますが、

リズム感よく、弾んではいますが、とてもここでご紹介はできません。

この書簡を読みますと、彼はただもう、はしゃぎまくり、そして

やはり普通ではない人だったようです。

 

ベーズレーとは、当時モーツアルトが友人として手紙をやり取りしていた女性です。

 

そして、「ユーモアのある天才は滅多にいない」と言われます。

特にドイツの天才の場合は、なおさら少ない。しかし、モーツアルトはそうではなかった。

果たしてこれを、ユーモアと呼べるのか、かなり強い幼児性を私は感じますが。

 

ユングによると

 

ユングによると

子供たちは排便行為とその産物に非常な関心をもっている。

それは彼らが早い時期から、排便と出産に同じような関心を持つことを考えると

多少は理解できるだろう。

 

「モーツアルトの深層心理のどこかで、糞便嗜好と生産は結びついていて、

地方的あるいは時代的習慣を土台に、火山のように噴火を見せたのではなかろうか。

 

モーツアルトは、自らに不可解さを内蔵しながら、限りなく美しい旋律を

奏続けた。

それ故にこそ、彼の音楽には、矛盾に満ちた人間とその社会にあって、倫理を

超えてこの世の混沌から、我々を引き上げ、慰めと喜びを与える作用がある。

 

したがって彼の音楽はあらゆる人々、あらゆる状況に受けいられる性格を持ち、

優れて宇宙的でありながら、人間性をその深淵で捉え、しかも善悪の彼岸で

人間を慰めるといった感じがある。

 

極端な例では、、アウシュヴィッツのナチス・ドイツの将校たちは、

ガス室のボタンを押す合間に、モーツアルトの音楽に耳を傾けたと言うし

ドイツ軍の迫るパリで聞いたモーツアルトに魅了された人もいる。

 

今日のまとめ

 

手紙の文面を載せられませんが、この「モーツアルトの手紙」に関しては

たくさんの研究がされていて、やはり彼の不思議な人格が伺えます。

興味のある方は、是非読んでみてください。

 

「彼は別の世界から使者であったし、あり続けるのだ。」ドイッチェ。

そして彼はただの天才で、天使ではなかった。

 

次回は彼の妻について書きたいと思います。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「モーツアルト その天才、手紙、妻、死」 豊田 泰著 よりモーツアルトについて

こんにちは、突然ですが、「モーツアルトはお好きですか?」

 

お好きな方も多いでしょうし、何曲かは聞いたことがある、とか

原曲は知らないけれど、ポップにアレンジされたものは好き、などと

いろいろな方がいらっしゃると思います。

 

でも「天才」であった。というのはよく聞く話ですし、彼の音楽を

聞くと「子供の頭が良くなる」などと、都市伝説のような、本当のような話

もあります。

 

そんな天才モーツアルトについての本を読みながら、お話ししたいと思います。

天才モーツアルト

 

モーツアルトには謎が多く、アメリカ映画の「アマデウス」を見た時も

私は驚きを隠せませんでした。

 

モーツアルトは1791年12月5日の月曜日、午前0時55分に

35歳10ヶ月の生涯を閉じ、粗末な3等葬儀で郊外に運ばれ、他の遺体とともに

同じ墓穴に投げ込まれた。

妻のコンスタンツェは憔悴して伏していたし、友人たちも悪天候のため引き返し

どこに埋葬されたか今もってわからない。

 

いきなりですが、天才は長生きできないのでしょうか?

当時の医学では、長く生きれずに残念としか言えません。

ですがその後のプラハでの追悼ミサは盛大で多くの音楽家、一般市民4000人も参列したそうです。

 

モーツアルトが真の天才と言われるのは、とどめなく湧き上がる発想を

苦もなく形にする能力を持ち合わせた、ことであろう。

彼は、気まぐれて、自制心がなく、じっとしていられない言動そのものに現れており、

旅行好き、引越し好き、ダンス好き、おしゃれ好き、ふざけ好き、いたずら好き、

はしゃぎ好き、女好き、と性格的には混沌としていた。

しかし音楽においてのみ、何人も及び難い作品を溢れるように生み出していった。

 

いつもふざけているこの人物も、クラヴィーア(鍵盤楽器)の前に座るとたちまち全く違った

ずっと高尚な人物となるように見えたそうです。

音楽家であった彼は、風景や美術には関心がなかったそうです。

 

彼の耳は非常に敏感であり、好きではないトランペットの音を聞かされて、

失神しそうになった。また間違った音、耳障りな音を聞いただけで涙が出てくるほどでした。

 

この辺りは少し病的な感じを私はもってしまいます。

最近の研究では彼は「サバン症候群」という脳の病気であったと思われる。

 

父レオポルド

 

モーツアルトのお父さんであった、レオオルドは、彼に教育を教え、もちろん音楽も教えました。

3歳より音楽が遊びであり学問であった、天才少年モーツアルトも、やがて大人へとなっていきます。

 

息子よ!お前がやることなすこと全て、すぐかっかとし、またせっかちです。

お前は幼い頃や少年時代とは、今や性格が全く変わってしまいました。幼児の時も少年になってからも

お前は子供っぽいというよりもずっと生真面目だったし、クラヴィーアの前に座ったり、

そうでなくても何か弾く必要があるときには、誰もちょっとした冗談もお前にいうことはできなかった

のです。 でも今お前は、私が思うに、あまりに性急

に最初の挑発に乗ってしまって、戯けた調子で誰にでも返事をしてしまうようだ。

 

これは父、レオポルドが息子モーツアルトの言動を心配して書いた手紙です。

几帳面で無駄嫌いのレオポルドと遊び好きの息子の様子が伺えますね。

しかしこれも、父の手綱が切れたために、彼の天真爛漫な人間性が現れてきたのではないでしょうか。

その上

息子はあまりに人を信じ易く、騙され易い。才能は半分でも良いが、灰の世渡り術を望みたい。

と、今の親と同じように、「もう少し節度をもって、まともになってほしい」という父レオポルドの

気持ちが伝わってきます。

 

旅行

 

旅好きのモーツアルトは、17回の旅行をしています。当時の旅行は馬車による困難な

旅でありました。 その都度休暇願いを出し、父から金銭についてくどいほどの注意を受けますが、

レオポルドは再三の休暇願いを出し、ついには親子共々解雇される派目になります。

 

再就職

 

1779年、就職活動に失敗したモーツアルトは、ザルツブルグに帰郷し

宮廷音楽家として復職する。しかし間もなく当時のコロレード大司教は、自由を求める

モーツアルトを追放した。

その後ウィーンに移住した。ドイツ最大の中心地で音楽も盛んだったが、ここでも

音楽家の生計は貴族の保護や援助なしには成立しなかった。

 

しかしモーツアルトの目指していたものは、音楽や音楽家の独立であった。

当時は宗教や宮廷の従属物と見る大司教と、音楽至上主義のモーツアルトがぶつかり合ったのです。

やがて、彼の浪費は「貧困の中でも夢中になる」ことのようでした。

 

特に赤い服が好きで、値段など気にせず、なんでも手に入れたくなった。

そして贅沢は貧困と同居してゆく。

 

ギャンブル

 

音楽会の収入は激減し、妻の療養費も多額を要した。他方彼はギャンブルで

すってしまったのだという説もある。

確かに彼は、賭けトランプや、玉突きが好きで、遺産台帳にも

「緑の玉突き台や、ボールの記載があり、賭博癖の親友もいたらしい。

 

このギャンブル説では、モーツアルトの収支を計算すると、当時の彼の平均収入は

3500グルデン(この時代の音楽家の年収は、1500から4000グルデン)で

結婚生活当時の支出の平均額は、年間およそ2000グルデンであるから、

賭博で浪費したとしか考えられない、としている。

 

当時、賭け事は流行していて、貴族は熱中し莫大なお金をつぎ込んで、

即金で支払うのが名誉とされていた。

彼には貴族の友人も多く、性格的にも賭博にのめり込む必然性があったのかもしれない。

 

今日の締めの一言

 

ショーペンハウアーは言う、

「利口な人は、利口である限り、また利口である間は、天才的でないであろう。

天才的な人は、彼が天才的である限り、また天才である間は、利口ではにであろう。」

 

続きます。次回はモーツアルトの手紙についてです。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽を演奏すことと聴くことの違いについて ハーバード流 育脳ピアノレッスン

こんにちは。お元気ですか?

お天気は、もうひとつですが音楽があれば、心は晴れます。

 

今日は音楽を聴くことと、演奏することの違い、についてお話し始めます。

演奏と聴くこと

 

音楽演奏は脳にどのような効果をもたらすか。

楽器演奏はピアノですが、演奏をしているときに起きている事は

まるで花火のようだった、という研究があります。

 

翻訳、バイオラ大学 河村まなみ先生「楽器を弾くことの脳への効果」

被験者に機械に入ってもらいながら、国語、数学の課題を解いてもらい、

脳の活動領域を調べました。

あるとき、被験者に音楽を聴いてもらったところ、花火が起こっているのをみたのです。

脳内の多数の箇所が一度に明るくなったのです。

 

さらに、音楽をメロディー、リズムなどの要素に分けて聞き分け、最後に一つににまとめて

聴くという作業をしていたのです。

しかも音楽が耳に入ってから足でリズムを刻むまでに、その全ての工程を一瞬にして

処理していました。

 

さらに科学者達は、音楽のリスナーからプレイヤーに移行して調べると、

プレイヤーの脳内いには花火大会が起こっていました。

もちろん音楽を聴いている時の脳内は大変興味深い動きをしますが、

演奏している時の脳内は、ほぼジムで体全体を鍛えるくらいの活動が

起こっていたのです。

 

脳内の多数の箇所が明るくなり、複数の違った情報を同時にしかも繊細さ、協調性を

持ちながら驚くべき速さで処理するのを科学者は発見しました。

 

花火大会

 

なぜ音楽はそのような特徴的な状態を生み出すのでしょうか?

この学問はまだ比較的新しいのですが、学者達は一つの見解に達しています。

 

楽器を演奏するという行為は、脳内のほとんど全体を一度に使います。

特に、視覚野、聴覚野、運動野です。

他の分野の訓練と同じように、音楽を習うにも鍛錬と計画的な練習が必要です。

この訓練が音楽家の脳機能を向上させ、他のことをするにも効果を発揮するようです。

 

音楽を聴くことと弾くことの最も大きい違いは、後者が高度の運動機能を必要とすることです。

この機能は左右両方の大脳半球でコントロールされます。

また言語、数学的な情報処理能力のためにより、多く使われる左半球、新しいことや想像力のために

多く使われる右半球、音楽活動はこの両方を用います。

 

そのため、音楽活動が両半球をつなぐ脳梁を大きくし、

活性化し、両半球内の情報をより早くより多く伝えることができるのです。

その結果、音楽家は学問的、社会的問題解決をより効果的に、クリエイティブにできるのです。

 

楽曲を理解するために、音楽家は実行機能を働かせ、計画を立て、作戦を立てる、

詳細に注意する、理性と感情の両方から来る複数の情報を同時に分析するなどの

複雑な作業に優れています。

 

記憶力

 

演奏能力は、記憶機能にも役立っています。

事実、音楽家は記憶機能が優れており、記憶を整理してします能力、

早く効率的に引き出す能力に優れています。

 

研究によると、音楽家は独特の方法で記憶を整理し、別の概念や感情、音情報、

文脈などと紐つけてしまっているようです。

まるで優秀なインターネットのサーチエンジンのようです。

このような能力は音楽家独特のものでしょうか?

 

それとも、スポーツ選手や画家にはあるのでしょうか?

それから、音楽を習う人はもともと頭が良いのでしょうか?

神経科学者の研究によると、音楽を習うことだけが、脳にとっては他のどの活動、

勉強、芸術的活動とは違うということがわかりました。

 

ランダムに脳機能と情報処理能力が同じようなレベルの人々を集めて調査したところ、

ある一定期間楽器を習った人たちは、他の人たちより脳の複数の部分での

機能が優れているのがみられました。

 

このように楽器を弾くことの脳への効果は、私たちの精神機能の理解を助け

体内リズムや複雑な機能の協調的な働きによって、脳内にオーケストラ的な活動が

起こることを助けています。

 

子供が音楽を辞めたいといっても、辞めさせないで

 

学習障害

 

学習障害は現在では、左右の大脳半球の情報連絡機能が正しく機能していない状態

と、理解されています。

音楽教育はこの両方の大脳半球を向上させることができます。

ADHD(注意欠如多動症)は脳内の運動野、視覚野、聴覚野の作動するタイミングのズレ

と理解いされていますが、ここでも音楽教育は、この3つの脳領域を一緒に

働かせることに長けているのです。

 

子供のレッスン

 

バイオリンの初心者が、ピッチから外れている音を出しても、

気分を害さないでください。

その子供は正しいピッチをつかもうと頑張っているのです。

 

あなたの子さんやお孫さんの一年に一回の発表会に行くだけではなく、

練習の過程を見て、その頑張りを認めてください。

 

もしお子さんが楽器の成果が出ないで、辞めたいと言い出したら、

辞めさせてはいけません。

10年後、20年後に感謝される方の選択をしてください。

 

まとめ

 

楽器の習得などには、長い時間が必要です。その過程で「辞めたい」と思うのは

特別なことではありません。私もそうでした。

 

親は辞めさせてくれたこともありましたが、のちに私が音大を受験する時、

「なぜ、無理やり続けさせなかったんだ」と私は母を責めました。

のちに、どれほど時間を無駄にしてしまったのか、と思い後悔したからです。

 

続けて、初めて見えてくるものがありました。

どうか、長く続けさせてあげてください。

 

このシリーズは以上です。

お読みくださりありがとうございました。

もしよかったらご感想などお聞かせください。

お問い合わせも、ご遠慮なくどうぞ。

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

犯罪と戦うクラシック音楽? ハーバード大学流 育脳ピアノレッスンの教科書

こんにちは。

気候が爽やかになると、「食欲の秋」の到来ですね。

私は一年中「秋」なのだろうか。

さて今日もまずは、「クラシック音楽で犯罪と戦う」ことについてお話しいたします。

 

クラシック音楽で犯罪と戦う

 

バッハとヴィヴァルディの音は本当に浮浪やその他の些細な犯罪と

戦う力を持っているか。

 

ここより引用

バッハやヴィヴァルディの音は本当に浮浪者やその他の小犯罪と戦う力を持っているのでしょうか?

この非正統的な犯罪抑止戦術について知っておくべき5つのことを次に示します。

 

公共の場でクラシック

 

1  都市は犯罪を阻止するために公共の場でクラシック音楽を使用しています。

サンフランシスコのファストフードフランチャイズによるクラシック音楽の使用が最近のメディアの注目を集めていますが、この戦略は世界中のいくつかの都市で実施されています。

 

2  本当に効果があるのか?

2003年にロンドン交通局が、犯罪の多いエルムバーグ地下鉄駅でクラシック音楽を流して成果をあげた時サンフランシスコでも公共の場に音楽を流す戦略を実行してみようということになりました。

 

Independentによると、おそらく最もよく知られているケーススタディであるエルムバーグ地下鉄駅の例では、強盗が33%削減され、スタッフへの暴行が25%削減され、破壊行為が18ヶ月以内に37%削減されました。

 

別のサクセスストーリーでは、ワシントンのタコマモールトランジットセンターで、クラシック音楽の演奏を開始した時に破壊行為が「大幅に減少」したと報告されています。もちろん、全ての年で良い結果がいられているわけではありません。

 

フロリダ州ウェストパームビーチの警察は、浮浪者がスピーカーを破壊し始めた後、プログラムを廃止しました。

 

3  なぜ効果があるのでしょうか?

 

研究によると、ストレスの解消から睡眠の質の向上まで、様々な音楽ジャンルが気分に

プラスの影響を与える可能性があります。

 

メンタルヘルスの専門家は、脳の治療において音楽の力を利用しています。

音楽が人間に与える劇的な影響を考えると、クラシック音楽の戦略がいくつかの都市で

成果を上げているのは当然のことです。しかし、なぜそれは犯罪を抑止するのでしょうか?

 

この現象についての詳しい研究はありませんが、多くの理論があります。

シアトルタイムズによると、それは脳内のドーパミン産生の結果である可能性があります。

神経学者によると、特定の種類の音楽が犯罪抑止力として機能する理由は、人々が

楽しんでいない、または馴染みがないものに対する神経生物学的反応にある可能性があります。

 

快楽と報酬に関連する神経伝達物質であるドーパミンの産生は、脳の「快楽の中心地」の

ひとつである側坐核によって調節されます。

人々が好きな音楽を聴く時、それはドーパミン生産を刺激し、彼らをより良い気分にさせます。

 

しかし、人々が音楽を嫌うと、脳はドーパミンの生成を抑制し、気分を落ち着かせ、音楽を避けさせます。

インディペンデントは、クラシック音楽をクールではないとみなしているという理由だけで、

音楽が不良達を撃退する可能性があると報告しました。

 

モデストピーは、単に音量のせいかもしれない、と書いています。

インタビューを受けた浮浪者は、地元のセブンイレブンでクラシック音楽を流し始めたら、

音量が大きくて、たむろして話すことができなくなったと、言っていたからです。

 

戦略としての音楽

 

4  この戦略は批判を集めています。

犯罪を抑止するためにクラシック音楽を使用することは

問題があると考える人もいます。

 

5  音楽が武器として商用されているのはこれだけではありません。

型破りな武器として使用されている音楽の長い歴史があります。

軍はこれまで、ヘビーメタルを含む様々なジャンルの音楽を戦略として使用してきました。

 

思春期のお子さんをお持ちのが家庭は、我が子の言動に気になること多々だと思います。

ぜひ、さりげなくおうちでクラシック音楽を流しておいてください。

 

脳は音楽を聴き分ける

 

バッハが大好きな人に、バッハの音楽と、よく似たベートーベンの音楽を聴かせました。

本人は、どちらもバッハだと思っていましたが、「脳はバッハとベートーベンを区別していました。」

つまり脳は二人の作曲家の違いを判別でき、好きな方にはっきり反応しました。

 

本人が自覚していなくても、好きな音楽、脳に良い音楽を聴くのはいいんですね。

 

ご家庭でクラシック音楽を聴くというのは、可能でしたらお勧めします。

ピアノを習っている生徒さんがいるご家庭では、練習しているときに、クラシック音楽が

流れているわけですから、ご家族の方にも良い影響が出ているかもしれません。

 

「あなたがピアノを弾いてくれると、家族の脳に良いから、お願い弾いてね!」

などとリクエストしたら、気持ちよく弾いてくれることでしょう。

 

今日のまとめ

 

人間の聴覚は無意識に音楽を判別するなんて、すごいですね。

何か、耳に感謝したくなります。

今からできることは、さりげなくクラシック音楽をご家庭で流してみる。

ご自分で弾いてみたり、お子さんに弾いてもらったり、車の運転中に流すのも良いかもしれません。

まだまだ続きがあります。

 

ではまた。

 

 

犯罪抑制にクラシック音楽を ハーバード大学流 ピアノレッスンの教科書 医学編

こんにちは。 お天気は良くなくても楽しい音楽を聴くと心が安らぎます。

こんな時こそ、心地よい音楽を聞きましょう!

 

今日は、音楽と犯罪についてお話しします。

音楽で犯罪抑制

クラシック音楽で犯罪とった買うことについて知っておくべき5つのこと。

バッハとヴィヴァルディの音楽は本当に、小規模犯罪と戦う力を持っているでしょうか?

 

マインド・ザ・バッハ :  地下鉄でのクラシック音楽 〜 イギリスの記事

(バイオラ大学 河村まなみ 翻訳)

地下鉄の駅の実験

クラシック音楽は40の地下鉄の駅で反社会的行動を減らすために流されています。

ラッシュアワーの交響曲が本当に必要かどうか、筆者は探ってみた。

 

地下鉄ヴィクソール駅の通勤客で埋め尽くされている駅構内には

マーラーの音楽が流れています。 正確には、彼の交響曲第1番のゆっくりとした

動きは、おなじみの童謡「フレールジャック」に基づく葬送行進曲です。

月曜日の朝8時半のスピーカーを通してこの曲を流そうと決めた人は

少しねじれたユーモアのセンスを持っているに違いありません。

 

ヴィクソール駅ではクラシック音楽を流し始めてからすでにしばらく経ちますが、

これが犯罪と反社会的行動を減らすのに非常に効果的だと、ロンドン交通局が公表したのを

きっかけに、他の40駅でもクラシック音楽が流れ雨ようになり、現在、さらに多くの駅が

加わってきています。

 

このアイデアはもともとカナダから来ました。1990代半ばにモントリオールのあるスーパー

マーケットでは、いつも不良達がタムロしていて困っていました。

それで対策のためにクラシック音楽を流したところ、成果があったのです。

 

イギリスでは1997年にタイアンドウィアという高速鉄道で最初にテストされました。

それがうまくいったという兆候があったので、2003年にディストリクト線のエルムパークは

それを試す最初の地下鉄駅になりました。 ここは列車の運転手がそこで止まるのを

恐れるようなギャングの問題があった場所だったのです。

 

オペラ歌手のパヴァロッティの声がトラブルを起こしていたギャング達へ対抗した結果、

18ヶ月以内に、強盗は33%削減さえ、スタッフへの暴行は25%削減され、

破壊行為は37%削減されました。

クラシック音楽を流すとなぜ効果があるのか、その理由については、様々な

意見があります。

高周波の倍音

 

1つは、反社会的な若者の音楽の好みに合わないということです。

次に10代の若者は、大人には聞こえない高周波の倍音が聞こえるのですが、

それが大変な耳障りになるので、彼らをとうざけることができます。

(ただし、同じ年齢の、音楽の学生は明らかに免疫があります。)

 

残りの人たちについては、TfLが700人の通勤客を調査したところ、

「クラシック音楽は心地よく、ストレスが少なくリラックスできることに

圧倒的に同意しました。」

また人々は犯罪から守られたいというより、犯罪を恐れる心を無くしたい、と思って

いるらしいのも理由のひとつかもしれません。

ベートーベンを少し効くと、勇気が出てくるような気がしますよね。

なぜクラシック音楽か

 

ブロードチャートという名前の下請け業者によって選ばれた、地下鉄駅構内で

流される40時間分の音楽のプログラムは、主に18世紀と19世紀の音楽で構成されており

よく知られているもの、そうでないものもありますが、全ての曲は調性がはっきりしていて

メロディーもしっかり存在します。ほとんどの人はそれを好むようです。

(クラシック音楽は人気がないと思われていますが、実際には好きな人たちは結構多いのです。)

 

あらゆる状況に適した作品があることは間違いありません。

エンジニアリングの残業により帰宅が遅れた場合は、

シューベルトの「未完成」交響曲が癒してくれます。

壊れたエスカレーターを歩いて登らなければならない時、

シュトラウスのアルプス交響曲がエネルギーをくれます。

 

または、凍りつくような真冬には、ヴィヴァルディの「四季」

プロコフィエフのシンデレラから、「冬の妖精」、チャイコフスキーのくるみ割り人形から

「スノーフレークワルツ」などの冬の作品を聴いて、凍てつく寒さの中に楽しみを少しでも

感じることができます。

 

今日のまとめ

 

日本でも各地の駅で電車が到着する時や、出発するときに短い音楽を流しています。

確か、春日部駅では「クレヨンしんちゃん」の曲が流れていましたよ。

その土地、それぞれの特徴を活かしていくのも良いですね。

 

なぜそこに居合わせた人が、なぜ皆その曲を聴くのか、ということについて

まだまだ続きがあります。

 

ではまた。